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「安全運転」と言う人ほど安全運転ではない



確信を得ていることがあります。

それは、このタイトルの通り【自分のことを安全運転だとほざく(失礼!)人ほど安全運転ではない】ということ。

自分の事を「安全運転」などという輩ほど信用できないと思います。

例えば、
「俺は安全運転だからシートベルトなんかしなくても大丈夫」
「保険なんか高いんだし、入らなくても安全運転してれば大丈夫っしょ」
という言葉を聞いて、違和感を感じませんか?

違和感を感じるのは、シートベルトを着用しないことや保険に加入しない言い訳として、【安全運転】という言葉を持ち出しているからです。


また、人の運転を見て「安全運転だなあ」と言うとき、100%いい意味で言ってないケースが多いです。

この言葉のニュアンスの中に「ゆっくりだなあ」「ドンくさいなあ」という皮肉が少なからず入っているのを感じます。


安全運転とはとても漠然とした言葉です。

人が仕事や勉学に励む時によく口にする、「がんばります」「一生懸命やります」「必死に努力します」などという言葉に似ています。

しかし、その説得力には???がついて回ります。

なぜなら、人間はどんな人でもがんばっているから。

誰だって一生懸命生きているから。

「がんばる」とか「努力する」という言葉は具体性に欠けるために、効果を計ることができないのです。

それと同様に【安全運転】と言う言葉も、抽象的で効果を測定できません。

多くの運転者が自分のことを【安全運転】だと思っているものです。

安全運転とまではいかなくても、自分の運転を「危険極まりない」「悪い見本だ」とは微塵も思っていないのではないでしょうか。


【安全運転】だと自分で思っているドライバーに、何を根拠に自分のことを「安全運転」だと言っているのかという意地悪な質問をすると、

「俺は飛ばさないので(=安全運転)」

「私は歩行者に気をつけている(から、安全運転者だ)」

「そのために、細心の注意を払っている」

これらのような言葉が返ってきそうですが、残念ながらこれでもまだ抽象的で信憑性がありません。


これらの言葉が信憑性を得たり説得力を上げたりするためにはどのようにするのか。

営業の仕事であれば、「がんばります」「死ぬ気で努力します」の代わりに「一日に20件飛び込み営業をします」
「今週中に1000件テレアポをするぞ!」
といった具体的な行動指針を宣言することこそ、成果の上がる行為だそうです。


クルマの運転に当てはめると・・。

「安全運転をする」→「後ろからどんなにあおられても速度はその道路の法定速度の+10km/hまでしか出さない」

「気をつけて運転します」→「夕方は午後5時にはどんなに明るくてもヘッドライトを点灯します」

「歩行者に注意していきます」→「横断歩道の約30m手前でアクセルを緩め、もし歩行者がいるかどうかハッキリしない時は速度を20km/h以下にし、歩行者がいたときには進路をゆずって歩行者を渡らせる」

と、ここまで具体的に言うことができれば説得力が出てきます。

具体的にするコツは↑↑↑を見ていただければ一目瞭然ですが、何かしら数値を入れることです。


夏休みの「自由研究」という宿題があります。

これは、「自由研究」というほど「自由」ではありません(と、昔から思っていました)。

なぜなら、そのテーマは学校に提出するのにふさわしいものでなくてはいけません。

先生に怒られないテーマでなければならないのです。

例えば、ポケモンGOの研究を学校に提出したらどうなるか。

小学生に人気の動画コンテンツの内容を調査しまとめたとしたら・・・。

恐ろしい結末が待っていそうですよね(一部の理解ある先生以外は)。

「自由」と言えば言うほどそうではないことが強調されるように、「安全」と言えば言うほど怪しい感じが出て白々しく嘘くさくなる言葉の代表選手です。

シャア語録の『自由落下というほど自由ではないのでな』を思い出しました。


本当の「安全運転」とは、口に出して言うものではなく心に秘めて決行するものです。

真実の【愛】は名詞ではなく動詞であるように。 

【終】


佐々木隆児インターネットラジオ番組
【クルマの運転はこの一言で上手くなる】
おかげさまでこれまで週1ペースで放送を無事にお送りすることができています。

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