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”長く”一緒に暮らせる人の基準

一人暮らし経験の有無が、一緒に暮らし始めた後の家事共同につながるかどうか?については前に触れたけど(この記事)、今回は、どんな人となら”長く”(←ここ重要)一緒に暮らせるか?という基準の話。

僕はタイトル画像のとおり、ポジティブ共有できる人よりも、ネガティブなことや感情を共有できる人を選ぶと、いいと思います。

ポジティブ共有

デートはたいてい、

キレイな場所へ行って、
楽しいこと経験して、
美味しいものを食べて、
オモシロイ話を聞いて、
ウレシイ気持ちになって、

「この人、わかり合える!うん!きっといい人だ!」

となるものです。
こんなポジティブなことですら、共有できない人は、この時点でアウトですが…カレシ&カノジョな関係なら、ここまでで十分です。たまに会って、楽しい時間を共有できる人がいるってのは、イイもんです。

でも、一緒に暮らすとなると、これだけではちょっと足りなくなります。ましてや家事をシェアするとなると、これはもう一段階先の基準が必要になってきます。

ネガティブの共有

デートと違って、共同生活は日常そのもの。デートが「ハレ」なら共同生活は「ケ」そのもの。

そういや、この「ケ」という言葉を講演で使おうとしたら「待った」をかけた自治体主催の講演担当者がいました。「『ケ』は『ケガレ』を連想させる」という理由でした。「いやいや、『ハレ』の反対は『ケ』だし、『ケガレ』は『ケ』とは別のはずだけど…」と思いながらも、その時は「地味」と言い換えました。(諸説あり定説はない)

良いこともあるけど、良くないこともある。

「ちょっと!片付けてよ!」
「使ったら、もとに戻しといて!」(上とほぼ同義)
「食べ終わった皿はシンクへ入れといて!」
「スリッパ、そろえて脱ごうよ」
「炒め料理した後のグリル周りは、すぐに拭いといて」
などなど。

シンドイ、不味い、汚い、不愉快、悔しい、ザンネン、悲しい、哀しいなどなど、デートでは出なかった自分や相手の姿や中身と接することに。

お互いのことだけでなく、職場のことや社会のことや、ニュースを見て、つい「なんでやねん!」「ありえへんわ!」「アカンやろ!」という言葉もポロッと出てしまいます。

その時、なんにも関心を示さない人もいれば、「そやなぁ」「アカンなぁ」「私もそう思うわ」「それはイヤやね」「ツライやろなぁ」と共感してくれる人もいます。

とくに、「汚れているかどうか?」の感覚は、家事をするしないに関わらず、長く一緒に暮らす人の重要な選択基準になります。

物理的な汚れや精神的な汚れについて、大きくズレた人と長い時間一緒にいるというのは、かなりキツイです。自分は汚いと思うのに、相手は「え?そぉ?」と感じたり、自分は「ひどい!あり得ない!」と思うのに、相手は「え?普通やろ」と言ったり。

ゴミを捨てることは、現代社会では避けられない行為ですが、その行動には価値観が現れがちです。

デート中の車内から窓を開けて、ポーンとペットボトルを捨てる人。それについて嫌悪感をもつか?もたないか?「掃除する人の仕事を増やしてやってる」と語る人もいることに反論をもつか?もたないか?そもそも「そうじゃないだろ!」と言える姿勢かどうか?

ネガティブは踏み絵になる

こういうネガティブなことを人に示すのは勇気が必要。でも、長くなりそうな共同生活者との暮らしを考えるなら、いつか表に出さないと、シンドイ共同生活が待ってます。早ければ早い方が自分の身のためです。

「一緒に暮らしたい」と思ったら、そのネガティブなことを「踏み絵」にするのがイイと思います。それを「えええ!それは無理!」という反応をするか、「あぁ、そういうのもあるね」と答えるか、「全然平気ですけど」「僕もそやねん」と反応するか。その反応をみて、その人を値踏みすればいいのです。

「わたし…家事メッチャ苦手やねん」

といきなり宣言するのもアリです。

苦手なりにも頑張るとか、その後で好きになるとか、それはその後の流れ次第。今の正直な気持ちを出して、それで拒絶されるなら、それは「そこまでの関係」です。割り切った関係を続けるか?次へいくか?です。

よく結婚相手の条件に「価値観が同じ」という項目があります。あれはポジティブ共有だけではなく、ネガティブ共有ができるかどうか?ということです。

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