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家事ゼロもありです

僕は、仕事として、
「男性も家事やりましょう!」
と講演してますが、
その反面、

家族の誰も家事をしないという、
家事ゼロも選択肢としてアリ!
だと思っています。

着たものは全部クリーニングに出す。
クリーニングに出せないものは買ってすませる。
あるいは洗わずに着続ける。

全食事を外食ですませる。
家政婦さんに好みを伝えて作ってもらう。

掃除は掃除ロボットか家政婦さんにお願いする。

こんな家事ゼロ生活もありだ。
実際、ホテル暮らしになると、
だいたい似たような感じだ。

家事は、手間をかければ良いというものでもない。
誰かが負担に感じているのなら、
それを取り除くのが文明の一つの側面。

楽か?楽でないか?
その差は、選択肢が多いか少ないかの問題でもある。

家事ゼロの選択肢を増やすことで、
振り切った選択肢が一つ増える。
そのうえで、
可能な限り家事を最小限化させた場合、
最後に残るものはなんだろう?

きっと、その人達同士の関係性だろう。
その関係性をよりよくするために
家事をしていたのだと思う。

家事をして関係性が良くなるのなら、
頑張ってみるのも、一つの選択肢。

良くなりそうにないのなら、
家事をゼロにしてみるのも、一つの選択肢。

経済的な負担は増える。
だけど、
なにもズッと家事ゼロを続ける必要性もない。

ちょっとシンドイな…と思う時に、
お金で家事ゼロを実現して、
心地よい暮らしが手に入るのなら、
それはそれでお得な選択肢だ。

家事をものすごく頑張っているのに、
居心地が悪く、気が晴れず、
落ち着かない暮らしだとしたら、
報われないし虚しい。

家事ゼロで散らかりっ放しな家だとしても、
自分たちが居心地いいのなら、
その方が大切だ。

家事ゼロという選択肢は、
数学でゼロを代入するように、
自分たちにとっての、
家事の意味
を見つけ出せるかもしれない。

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