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御礼 | 「祈り」を込めて、サッカーの場をつくっていきます

このnoteは、サポーターの方々に向けて書きました。

先月の5月、新型コロナの影響でそれぞれの人が大変な時期にも関わらず、love.fútbol のサポーターになってくださる方が増えました。
本当に有難うございます。
サポーターの方たちから、こうしたメッセージを頂きました。

 微力ではございますが、寄付金をお送りさせていただきます。 コロナウイルスの影響でライフスタイルが強制的に変わりつつある中で、コミュニティ型のスポーツグラウンドづくりは一層必要になると思います。世界中、そして日本中でサッカーやスポーツを安心してプレーできるようになるために協力させてください。
今日(5月26日)は日本から遠い現地からのお話をありがとうございました。情報をあのようにリアルタイムで共有できる場があったことが何より貴重でした。JICAが止まってるときでさえLFが機能しているというのは驚くべき事実です。今日の皆さんのお話とLFJとの信頼感が見えたことで、サッカーを媒介とした支援に大きな可能性を感じました。今後、加藤さんにお預けしていきます。よろしくお願い致します。(本日はお疲れさまでした)
わずかですが、少しでもお役に立てば。ずっと応援しています。
2年ほど前に加藤さんのセミナーに参加し、最近ではポッドキャストも拝聴して、love.fútbolの活動に興味を持ちました。 新型コロナウイルスの影響を受けて、世の中に自分ができることを考えるようになり、少額ではありますが、寄付を始めることにしました。 大変な時期だとは思いますが、love.fútbolの活動を応援していますし、少しでも力になれれば幸いです。


応援メッセージを読むと、頑張る力が湧いてきます。
みなさんにいただく寄付は、大切に子どもたちの安全なサッカー・スポーツグラウンドづくりに活用していきます。

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私がグラウンドづくりをするうえで、影響を受けたひとりが祖父でした。

私の父方の祖父は、陶磁器の置物の原型師でした。一般的にあまり馴染みのない仕事ですが、型をつくる職人です。家にはちょっとした工房があり、そこにサッカーボールや凧、竹とんぼが置いてあったので、子どもの頃は祖父の家に行くときいつも工房に寄っていました。毎年、干支や狛犬の置物をつくっており、庭のあちこちに過去の作品が置かれていて、子どもながらにその動物たちの「存在感」に特別なものを感じていました。中でも、もっとも印象に残っているのは、家の中や作業場に置かれていた数多くの女性のような仏像でした(後から天女像や観音菩薩像であることを知りました)。作業台によく製作途中の像が置かれていて、人の形をしているけれどなんだか触るのが怖い、神々しさを感じるこれは一体なんなんだと不思議に眺めていたことを覚えています。

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祖父が第二次世界大戦に出兵していたことは、なんとなく親から聞いていましたが、その詳細を知ったのは、恥ずかしながら社会人になった後の25、6歳の頃でした。祖父は90歳を超えてから、約3年間のシベリア抑留の体験を綴った本を自費出版し、私に数冊送ってくれました。私は今でこそNGOで働いていますが、当時は戦争のような重いテーマと向き合う気になれず、しばらく本棚に眠らせたままでした。何がきっかけで読み始めたかは覚えていませんが、その本を読み、はじめて、祖父が生きながらに背負っていたものの重さを知りました。

戦争中に、抑留中に、多くの仲間が目の前で亡くなり、仲間たちが無念のままこの世を去ったにも関わらず、自分は生きて帰ってきたこと、今生きていることに申し訳なさを感じて生き続けていたことを知りました。

その思いがあったゆえ、亡くなった仲間たちを供養するために、多くの天女像や観音菩薩像をつくり供養していたのだと、知りました。祖父の精神性は間違いなく作品の外観に現れ、子どもだった私の精神性に働きかけていたのだと思います。なぜ祖父がモノを作っていたのか。その理由を知り、尊さを感じられずにはいられません。

世の中を見渡せば、人間の欲望に対する機能と実利を満たすモノで世界は溢れています。祖父がつくる置き物のようなオブジェでも、市場社会では見た目だけで判断されることが増えているのかもしれません。私は偏屈な人間なので、かっこいいとか面白いとか便利とかだけに心奪われることはあまりありません。それよりも、つくり手の精神性に惹かれるのは、祖父の影響なのかもしれません。

祖父の作品には、「祈り」が込められています。
利己的な願望ではなく、他者の幸せを願う「祈り」。
だから私は、祖父の作品が好きです。

祖父は残念ながら2016年に99歳で他界してしまいましたが、祖父の作品や生涯を通じて、ものをつくることの真意は、「祈り」や「願い」にあることを教わったように思います。


そんな背景もあり、私はグラウンドづくりに関わる時は、つくり手の「祈り」や「願い」を意識するようになりました。

偶然なのか必然なのか、「祈り」は、スポーツの場づくりにおいても無縁でありません。スポーツ施設をはじめとする建築の歴史を辿ると、人類最初の建築は、新石器時代に「太陽への祈り(太陽信仰)」から誕生したと言われています。不確実性の高い時代に生きるうえで、個や社会に影響を与えるために集団の意識を組織化することが必要だったためです。現代のスポーツの場においても、場が本来備えている、人・地域・社会に対する影響力を引き出そうとするならば、「祈り」や「願い」は大切な要素になります。

A5サイズ縦中綴じ冊子 [更新済み]_0405_6-7

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私たちlove.fútbolのつくるグラウンドにも共通しています。
多くの場合、プロジェクトは、安全なサッカーの場所が「必要だから」という理由で出発しますが、完成まで協働する数ヶ月の間に、子どもたちから、大人たちから次世代への「祈り」が込められ、人々の意識が組織化されていきます。

「この街は、人が人を傷つける。誰も傷つかないグラウンドが欲しい」

「この場所をつくることで、もう一度私たちの誇りを取り戻す」

「息子にずっと安全な場所で遊ばせてあげたかった。彼が大人になって、子どもができたら、子どもに同じようにして欲しい」

「私たちにはできなかったこと(=安全な場所でサッカーすること)を、子どもたちにはできるようにする」

「このグラウンドが完成した理由は、地域の人たちが一体となり協力したから。その訳を子ども、孫、その先の世代まで伝えていって欲しい」


サッカーグラウンドは、サッカーができればいいという考えもあります。ただ、地域の人たちの声を聞いていると、サッカー以前に、人が人を幸せにする不変的な精神性を次世代に伝播していく場であることを実感します。

たかがサッカーグラウンド。
でも、そこは誰を幸せにする場なのか。
コロナを経験した今、スポーツの場をつくる人、運営する人が考えなければいけない、大切な、大切な、問いです。


現在love.fútbolのグラウンドづくりプロジェクトは、新型コロナウイルスの影響により中断していますが、再開を楽しみにしていてください。

サポーターのみなさんの「願い」を、一緒に込めていきます。

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love.fútbol Japan
代表 加藤遼也


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マンスリーサポーターが100人になると、1つのプロジェクトでゴール・照明・フェンスを設置できるようになります。

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