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浸る

2019年12月末に仕事を辞めて実家に住むことになり二週間が経過した。

実家付近はコンビニもスーパーも自動販売機もない。もちろん電車もバスもないので移動手段は車。用事がなくて一歩も外に出ない日なんてざらである。

一日中家にいるよりも外に出る方が好きなのだが、最近は何やかんややることが多く実質引きこもり状態になっていた。とはいえ、やることが多いとは言えどさっさとやってしまえば半日で片付く用事をだらだらと引き延ばしているだけの話である。

そんな用事も二週間も経てば一通り片付くものである。ようやく一日中空きが出るほど余裕が出てきた。

そんな今日は久しぶりに早起きをしたので散歩に出ることにした。中学校の頃の通学路だった道を久しぶりに歩いてみようとコード付きイヤフォンをポケットに入れて玄関を出た。

家を出ると少し広い砂利の駐車場があり、そこを過ぎると右肩下がりの坂がある。山を切り開いて作られた住宅地には、なだらかとはとても呼べない坂がある。幼いながらによくこんな急な坂を自転車で登ったり下りたりしたもんだと感心した。

坂を少し下ると保育園がある。柵に囲まれた一周50mほどしかないトラックのグラウンドには幼い声が響いていた。実家の愛猫は園児たちから元気をもらいに保育園によく遊びに行く。中学校への道は保育園に辿り着く手前を右に曲がり木造三階建ての裏側を回る。道幅は2mちょっと。車一台分を想定された道だ。その道を見たとき一つの記憶が脳天をかすめた。

木造三階建ての裏側には吠え狂う柴犬がいた。どんな人間に対しても吠え狂うので、中学の頃はそいつに見つからないように登校したり、いかに近づけるか友達と競い合ったりもした。

夕方5時ごろ吠え狂う犬は晩飯を済ませ、昼寝ならぬ夕寝をしていることがしばしばあった。眠りにつく前は機嫌がよく、その時間帯だけ吠えなかった。

そんな犬とやっぱり仲良くなりたかった僕たちは、カバンを置いて、こちらに攻撃の意思がないことを示しながら近づいた。匂いで気づいた柴犬はこちらを見たが吠えることはなかった。

肩をなでおろし距離を詰めていると、柴犬とは別の方から怒鳴り声が聞こえた。隣の吠え狂う爺さんだった。忍び足で近づいている様子が、爺さんの目にはイタズラをしようとしているように映ったようだった。誤解を解こうと思ったが、聞き耳を立ててくれず、怒鳴り声は増す一方で、さらには柴犬まで吠え狂い出した。らちがあかねえと思った僕たちはカバンを抱え坂を駆け上がった。

結局、吠え狂う犬とは中学三年間で仲良くなれずじまいだった。あの爺さんとも。高校二年生のときにその犬は亡くなった。あの瞬間は写真や動画にも残ってはいないが、心の引き出しにしまってあることだけはわかった。

あれから十年、高校と大学を経て東京に就職をしたが、職場の環境がうまくいかずやめてしまうことになるとは思ってもみなかっただろう。そして、少なくともいい思い出とは言えないあの出来事を思い出して鑑賞に浸るなんて思ってもみなかっただろう。

僕らは遠く離れ離れになっていたようだった。乾燥した寒波が頬を刺したあの日と同じ冬。分岐点とも成長点とも挫折点とも言えない映像は、僕という引き出しの中に大切にしまってあることを知った。