見出し画像

「みんな違ってみんな良い」を超えて行け

私がリスペクトするとある方のブログに「みんな違ってみんな良い」はいかにも日本人が好みそうなフレーズで、何だか甘ったるくて嫌いだというような意見が書いてありました。どういうことかといえば、意訳するとこんな感じでしょう。

そもそも「みんな違うのが当たり前で、ただそれが当たり前の事実」であるのだから、それに良いも悪いもなく、ただただ「みんな違う。それが当たり前」の方が正確なのではないか。なのに「みんな違ってみんな『良い』」とわざわざしちゃうあたりが、「違ってもいいよね、大丈夫だよね、それで私たち間違いじゃないよね」という心の弱さというか何かまた外側に頼ってしまう不完全な人の象徴であるように見える

というご意見だったように思います。どう思いますかこれ・・・!!!ズシっとくる〜!!!!w
私は、本当にその通りだと思いました。私は結構今まで「みんな違ってみんな良い」は個人や個性を尊重する意味で良い言葉だと思っていたのですが、こう言われてみると、「みんな違う。それが当たり前」の方が確かに正確ですよねぇ。

ただただ違いを受け入れる、そこに余計な判断、誰が優れているとか、好きとか嫌いとか挟まずに、ただ違う。それが当たり前だと受け入れることは本当に大切だと思います。そしてそれが難しいからこそ、出来ていない人が現れた時(出来ていない人の方が自分含め世の中の99.9%だと思います)この人のフィルターを通すとこんな感じなのね、と自分の余白をつけて解釈をするというのも本当に大切だと思います。

最近ずっと自分はその練習を意識していて。今まで生きてきて塗り重ねてきた余計な無数の分厚い壁をブチ壊していくような感じです。それは最初だけ少し怖いようですが、壊し終わってみるとすごく軽くなる感じがします。驚くほど視界が広がって「自分感」が変わるのです。

「みんな違ってみんな良い」じゃなくて、「みんな違う。それが当たり前」をニュースタンダードにしていきたいです。


もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。