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自分にとって悪いイメージだったカメラマンがいつのまにか職業になった話。

カメラを仕事にしてから3年目に入ったので

自分自身のためにも、原点に戻って書いてみようと思います。



そもそも、なぜ写真を撮るようになったかというと・・・

専門学生の頃に出会ったカメラマンの方がキッカケでした。

僕は服飾系の専門学校に通っていて、その授業の一環で

「カメラワーク」という授業が毎年、5日間だけ行われていました。

そこで、先生をして頂いたカメラマンが「SMAP」や「嵐」、

まだ売れる前の「岡山の奇跡・桜井日奈子」などを撮影した、すごい方で

写真の楽しさからマニュアル撮影を教えてくれる授業でした。

当時、僕のカメラマンのイメージは、鉄道写真を撮っているオジサンなど

言い方が悪いですが、いわゆる陰気でオタクっぽい人がやっているという

どちらかと言えば悪いものでした。

それが、たった5日間だけでそのイメージは払拭され価値観が大幅に変貌しました。

それから、母親の一眼レフをパクリ自分なりに写真を撮り始めました。


Lovegraphとの出会い。

https://lovegraph.me/photographers/ryotatawa

専門学校を卒業して、社会人一年目の春。

Lovegraphというカップルを撮影するサービスと出会いました。

そのサービスを知った時、今だから言えることですが

超リア充カップルのイチャイチャするところを撮影することに

鼻で笑って「なんだそのサービスは(笑)」と思っていました。

たぶん、今でもLovegraphに対してそんな気持ちで見ている人も

いると思いますが、僕も初めはそちら側の人間でした。

でも、Lovegraphのホームページに掲載されている写真を見て

衝撃を受けたことに今でも鮮明に覚えています。

どの写真も一度も会ったことのないカップル達なのに

なぜか心の底から祝福できるような、そんな気持ちになりました。

何より写真から伝わる最高の笑顔と幸せが伝わってきました。

それから考え方が180度変わり、Lovegraphに応募することに。

販売職をしながら、中四国エリア担当のLovegraphカメラマンになりました。



しかし、まったく依頼が来ない。

当時、東京や大阪など都会のほうでは知名度があり依頼がきていましたが

地方では「Lovegraphというサービス」自体の知名度が皆無に等しく

ただただLovegraphカメラマンという肩書きだけで過ごしていました。

それじゃあ意味が無いと思い、岡山駅でカメラを片手にチラシを配りながら

少しでも、こんなサービスがあるのだと宣伝したり写真展をしたりしました。

それが繋がったのか分かりませんが、岡山にいる間、

12組のカップルさんを撮影することができました。


ここで、少し話が変わりますが僕の祖母は耳がまったく聞こえません。

コミュニケーションは手話と視覚で分かる範囲だけです。

僕が写真を撮るようになって、自分が撮影したカップルさんなどを

祖母に見せると、分かりやすく一生懸命にやっていることを

伝えることができ、喜び褒めてくれて

僕と祖母との新しいコミュニケーションの手段が増えました。

これが写真を撮り続ける理由の一つです。


それから、月日が流れ東京に上京し、そのまま関東Lovegrapherに。

今では57組の家族・カップルさんを撮影してきました。

撮影以外も楽しんでもらおうとこんな事もやっていました(笑)

https://youtu.be/o670tuZydw8 

↑Lovegraphカメラマン【たわりょうたと1本勝負シリーズ】第1回〜第6回目(今はネタがつき思考中・・・)

カメラの仕事もLovegraphだけではなく、様々な分野の撮影の仕事も

やるようになり、いつのまにかカメラを使った仕事が本業になりました。


カメラの仕事は決して、楽しいことだけじゃありません。

時には苦しいこともあり大変な職業です。

でも写真を撮るようになって、人の幸せを素直に喜べるようになり

人のためにできることが見つかりました。

こんな綺麗ごとを言えるような人間では無かったので

正直自分でもビックリしています(笑)

まだまだ半人前ですが、これからもシャッターを切っていこうと思います。

最後まで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。



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