世界創造主と世界統治者たちの責任6

体験の自治権を保護し、推進し、保証し、提供するためにはどうしたらいいのか…という問いに答えよう。

もしも、今までの行いが「あらゆる体験者たちへの善意」のもとに選択されていたのであれば、今すぐに大至急、行いを改めるとよい。

であるならば、何があらゆる体験者たちにとって望ましいことなのか?という問いに答えることになる。

ゆめゆめ、そもそもあらゆる体験者たちにとって望ましい世界を実現するつもりなどさらさらはじめからなかった…などという返事はしないようにしてもらいたい。

そのような意志しか持てていないのならば、その意志をまずは改めなければどうしようもないからだ。

だから、体験の自治権を保護し、推進し、保証し、提供するためにはどうしたらいいのか…という問いをする前に、自分自身が何を明確に意志しているのか…という点を自問自答しなければならない。

すでに「体験の自治権」の意味については、再三、繰り返し説明してきている。

疑問があるならば、過去の記事を参照するとよい。

簡単に説明すれば、「体験者が体験の自治権が得られている状態」とは何度も言うように、

「独自のアイデンティティや個性を持った各々の魂(体験者)が、自分自身のあらゆる体験そのものを自分自身の意志だけで自由に選べるようになっている状態」

だ。

ここでいう各々の魂とは=体験者=苦楽の体験や欲望するという体験や気分を味わうという体験や夢の世界での体験や映画を見る体験や五感の体験や……………のありとあらゆる体験を感受できる能力のある者たち

のことである。

どうすればそのような状態にできるのか…

難しく考える必要はない。

ありとあらゆる体験そのものを、体験者が自由に選べるようにしてゆけばいいだけだからだ。

ただし、当然、そのために他の体験者たちの体験の自治権を剥奪しないように…という条件が付く。

ただ、この世界の基本仕様と現状があまりにも問題だらけなので、難しい問題はたくさんある。

目指すべき方向性は明確だが、現実的にどうするかという話になるとかなりの知恵や技術や意志や能力が必要になってくる。

目指すべき方向性は、

「体験者同士が互いの体験の自治権を剥奪しあわないように配慮しつつ、最大限に多様に自由に各々の体験者が自分が望む体験を選び、心から楽しめるようにしてゆくということ」

になる。

だから、そもそも、「あらゆる体験者たちがそんな状態になるのは絶対に嫌だ…」などと思っていたのではお話にもならない。

まずは、そこが第一関門だ。まずこの関門を突破しなければならない。

あなたは、大丈夫だろうか? あらゆる体験者が…でなくとも、自分の子供や自分の部下や自分の恋人や自分のペットや……が本当にそうした自由な状態になっては嫌だ…などと思ってはいないかチェックしてみるがいい。

おそらく、そう自問自答した時に、何かしらの問題が見つかる者がこの世界では多数であろう。

この第一関門をクリアできない者は、世界統治者としてふさわしくない。
また、他者の運命や体験をコントロールできる立場につくべきではない。
子の親になる資格すらない。
なぜなら生まれたばかりの子には、自分の運命や体験を選ぶ自由がないからだ。
親が子を産む前に、そうした自由をそもそも子に提供する気がないのではどうしようもない。
世界創造主や世界統治者においても、同様の理由でその資格がない場合がある。

だから、第一関門ということになる。まずはこの関門をクリアすることだ。

でなければ、どうしたらいいか…を教えても、実行しない可能性があるからだ。

ただ、多少でも改める気があるのであれば、簡単に教えておく。

要するに、世界統治者としての目指すべきゴールとは、最終的には管理や統治が不要な状態だということだ。

つまり、必要なのはあらゆる体験者が第一関門をクリアし、精神的に成長し、良心的に自治できるようになり、管理や統治が必要ない状態に成長してゆくようにサポートしてゆく必要があるということだ。

成長のサポートといっても、自由意志を持つ魂たちを良いことしかできないロボットにするようなことではない。

また、世界統治者が好き勝手に操ることができる操り人形を量産するようなことでもない。

各々の魂が自ら体験の自治権が最重要であるということに気づけるようにし、その権利をあらゆる体験者に提供したい、その権利を保護したい…と思えるようにサポートしてゆく必要がある。

つまり、今の状況とは、かなり真逆だ。
力や権力による強制統治ではなく、自分自身の責任や義務を自分でよく考えて選び、その責任を取りながら成長してゆけるようなシステムを生み出す必要がある。

そのためには、平和的な個人レベルでの自治権くらいは、提供できるようにしなければならない。

国同士の権力者たちが、権力獲得闘争のために平和的に自治したいと願う国民を戦争のために徴兵するような仕組みは、根本からなくす必要がある。

そのためには、世界全体に平和的な自治権や体験の自治権を保護、推進、保証、提供してゆくという目標を世界統治者たちは宣言する必要がある。

ただの利己的な権力者たちの権力闘争のためではなく、平和的な自治権や体験の自治権を守り、提供するためになら力を使っても問題はない。

だが、そもそもこの世界では、そうした戦争や、経済恐慌や、疫病や、迫害差別や、また災害……などのほとんどが体験強制ピラミッドシステムのトップたちによって「わざと」引き起こされている。

だから、その点を根本から改めることを決意しなければならない。

体験者たちを好き勝手に支配し、その自由を奪い、自分たちのお気に入りの部下や家畜や奴隷やペットや操り人形に洗脳調教するための自作自演の戦争や経済恐慌や疫病や気象災害や地殻変動災害やその他一切の拷問的な体験を強制するような歴史操作や運命操作は、これを断固止めねばならない。

そのためには、少なくとも、世界全体のあらゆる体験者(人間だけでなく動物や霊的存在や異星人たちも含む)に平和的な自治権や体験の自治権を提供してゆくことを世界全体に向けて宣言し、そのために合理的に必要なことを実行してゆく必要がある。

とにかくそうした方向に進むことを意志できなければならない。
そして、本気でそうした方向を意志すれば、知性があれば、臨機応変にどうする必要があるのかは見えてくる。

状況は時々刻々変化するので、今の時点での具体的に最善と思える政策を伝えても、それは数日後には状況が変化して最善の政策ではなくなっている可能性がある。

よって、高い知性を磨き、現状把握能力を磨き、臨機応変にその時々でどうすべきかを判断してゆく能力が世界統治者たちには必要になる。

それでも具体的にどうすればいいのかが知りたい…と願うのであれば、

上記の心がけの構えを維持することを前提にして、以下のような方向を推進するといい。

0、ただひたすらに「体験の自治権」をあらゆる体験者が得られるように目指すこと
(これを世界全体の最高法規とすること)

1、そう扱われることを望まない体験者たちを家畜や奴隷や操り人形として扱おうとしないこと。そのように目指す者たちのそうする自由は否定すること。
そして、ただ体験の自治権をあらゆる体験者が得られるように目指すこと。

★また、そうしたくなる本能や欲望を苦痛なく消すことができる薬や治療法を研究し、生み出し、望む者に提供すること。<これはかなり重要なことである

2、一部の権力者や指導者や支配者たちが良心に反したことでも無条件で従う部下となるように体験者たちを洗脳調教するような行為一切を否定すること(親が子に対する態度や上司が部下に対する態度などにおいてもこれは当てはまる)
そして、ただ体験の自治権をあらゆる体験者が得られるように目指す。
また、それを意志できるようにあらゆる体験者を導き、教育、サポートしてゆくこと。

3、体験の自治権の剥奪行為を否定し、体験の自治権を推進する行為をサポートすること。
そのために、個人レベルでの平和的自治権を提供できるようにしてゆくこと。
ただし、自治権を得た者たちには、自分の選択や行為に対する責任は取ってもらうようにすること。
つまり平和的に自治するのでなく、他者の体験の自治権を剥奪すれば、相応の自業自得の責任や償いの義務が発生することを伝えておくこと。

4、体験者同士のあらゆる関係性においては、真実の正しい理解のもとに、互いの心からの納得合意が常に成立するようにしてゆくこと。

5、あらゆる分野領域でできるだけ望まない耐えがたい拷問体験が発生しないように目指し、万が一発生しても麻酔薬や鎮痛薬やその他の技術でその拷問体験を本人が望めばいつでも自由に消せるように目指すとよい。

6、また、最大限多様に望ましい体験を新しく生み出せるように各種のサポートをしてゆくとよい。

たとえば、楽しみのための小説や漫画やイラストや映画や動画や音楽…などを体験者同士が互いに自由に創造し、提供しあい楽しみあえるようにしてゆくことなどをサポートすれば、誰もがほとんど無限に楽しみ続けることができる状態がサポートされるであろう。

また、そうした場合には、個人が特定されないようにすることで体験の自治権の剥奪行為が発生しないように配慮するとよいだろう。
匿名にすることでリアルでの実害が発生しなくなるので、体験の自治権の推進にはその方がよいだろう。実名でそうしたことをやりたい者たちがいれば、一定の保護のもとにそうした選択肢も提供すれば問題ない。

あくまで実害がない限り、匿名での作品交換はその内容も含め自由にすることが望ましいだろう。
過度な制限や検閲行為は、楽しみの体験を奪うことになり望ましくない。
あくまで、リアルでの実害が発生する場合にだけ制限をすればよいのであり、実害が発生していないのに規制や検閲行為をすることは、体験の自治権の推進にマイナスになる。

また、体験者同士の情報交換や作品交換を規制検閲したいがために「わざと」実害事件を自作自演で演出するような行為は許されない。

7、また、希望者があれば、一切の体験の自治権の剥奪行為から自由になり守られるような安全地帯や設備を作り、無償で提供できるようにしておくとよいだろう。
ただし、その安全地帯や施設を利用する限りは、自分以外の他者の体験の自治権を剥奪する行為は不可能となることを受け入れる必要があるものとする。
自分の体験の自治権だけ守られて、他者の体験の自治権への否定攻撃は自由にできるようになりたい…というのは問題だからである。

8、また、どうしてもリアルの人間関係を自由自在に多種多様に楽しみたい…という願いもあるであろうから、そう願う者たちに対しては、互いの体験の自治権を侵害否定しないことを前提とし、一定の試験を受けるなどの安全対策なども施したのちに、劇団や演劇という形でありとあらゆる人間関係のドラマを誰もがリアル同様に自由自在に楽しめるような仕組みを生み出すとよいだろう。

シナリオは参加者同士がよく話し合い、心からの納得合意の上に作成し、互いにその演技力を磨き…いろいろな役を演じて、ありとあらゆる人間ドラマを楽しめるような場があってもいいだろう。
ただし、そのためには自分が演じる役を自由にコントロールできるようになるための訓練や練習をすることが望ましい。

また、いつでも互いに参加者が途中で嫌になれば、その演劇ゲームを止めるか、離脱できるようにし、そうした自由を互いに認め合うようにするとよい。
あくまで心から気が合う者同士で心からの納得合意のもとに遊び心で…しかし迫真の演技力で愉快に楽しむ遊びの場である。

つまり、こうした形の自由で楽しい演劇ゲームサークルを生み出すことで、望む人間関係を自由に楽しめるようにできる可能性があるということ。
それは、演技力が高まれば高まるほどにその楽しめる質や幅が増え続け、参加者が増えれば増えるほごにその楽しめる範囲が広がってゆくお楽しみシステムになる。
良心的に成熟した遊び心を持った参加者たちばかりでこれを行うならば、非常に愉快なお楽しみの場になるだろう。

9、それと、いろいろなお楽しみ体験というものは、その種類によっては、依存したり、中毒になってしまって結果的に体験者を苦しめることも生じる場合があるので、その対策もしておく必要があるだろう。

そのためには、基本、スタンドアロンで自分の意志だけで満足できるような訓練や練習を各々の体験者は基本科目として履修しておくことが望ましいだろう。

ただし、人間の基本仕様があまりにも不自由であり、肉体の多くがほとんど体験強制装置のようになっているために簡単にはいかないことを理解し、そうした不自由さから自由になれるような薬や治療法や技術を全世界規模で自発的な有志たちが研究してゆくことが望ましい。

その場合、望まない体験者を使っての人体実験や動物実験などはすべきではないので、命がけの覚悟のある自発的な有志たちが研究する必要がある。
いつ死んでもいいと思えるように思う存分生きた者たちの中には、そうした有志たちも一定数生まれてくるだろう。
利己的な権力者たちの権力闘争の兵隊として命をかけるよりも、そうしたことに命をかける方がはるかに良いことは言うまでもないので、平和な世界には、そうしたことのために命をかけたい…と願う有志は一定数、生まれ続けることだろう。

そうやって、体験強制装置としての肉体の仕組みを解明し、体験者たちがいろいろな体験に依存したり中毒したりして苦しまないで楽しめるいろいろな方法を研究してゆくといい。

そもそも、世界統治者に自発的になろうと意志するものであれば…そうした研究をその晩年にでも自発的にしようと思うくらいの気概を持つべきであろう。

まあ、他にもまだいろいろあるだろうが、まあ、今回はこのくらいにしておこう。

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