コロナ問題における世界統治者たちの「責任」

私が世界統治者たちの「責任」を問題にするのは、世界統治者たちの選択が最善だと思えないからだ。


もし、このコロナ騒動があらゆる面から見て、あらゆる魂たちにとって最善の選択であると「良心」=「あらゆる魂の体験を自分の体験であると感じれる心」が判断するのなら、多少の望まれない体験の強制があっても否定する気にはならない。


例えば、超残酷な殺人狂がいて、放置していれば、えんえんと残酷殺人が繰り返され続けるような場合、いくらその殺人狂が、「俺は殺されたくないんだから勝手に俺を殺すな…」などと主張したとしても、状況によっては、そうした殺人狂を強制力を持ってその命や自由を奪うことがやむを得ない場合もあるだろう。

これほどたくさんの魂たちが存在している世界において、その矛盾する願いをすべて満たす世界統治というのは、非常に難しいことだ。


こちらを立てれば、あちらが立たず……というような問題が発生すれば、どちらの願いも完全に満たすことはできなくなる。


例えば、ライオンとシマウマがいて、ライオンはシマウマを殺して食べないと餓死してしまい、シマウマは、ライオンに食べられるのは激痛と苦しみであり、嫌に決まっている。


実に困った問題だ。


だが、ここでじゃあどうするのがあらゆる魂にとってベストなのか?といえば、何がベストなのだろうか?


あなたが、ライオンの役も、シマウマの役も両方やらねばならないとしたら、そして両方の運命を統治する権限を持っていたなら、どうするだろうか?


世界統治者とは、そうした役割なのだ。


あらゆる魂たちの体験を自分の体験であると置き換えて、そのベストを目指す。

とても責任重大な立場だ。


賢明さがなければ、務まらない。


つまり、世界統治者は、「良心」的でなれば、務まらないのだ。


うっかり良心に反した性質をもったまま世界統治者になってしまえば、自分自身がとんでもない体験を受ける責任を背負ってしまうからだ。


自分以外の魂を統治する場合、他の魂に故意に強制的に与えた体験は、自分も受ける責任と義務があるからだ。


だから、この世界のピラミッド支配システムは、危険すぎてダメなのだ。


上部の支配権限を持った魂が、下部の被支配者たちに何でもやりたい放題できてしまうシステムや世界そのものが危険なのだ。


話を戻そう…


ライオンとシマウマの話においては、どちらかの願望を満たせばそれいいでは失敗する。
一見、両方の願いを満たすことは不可能なように見えるが、そうでもない。

ライオンには人工肉を開発して与えるという選択肢もある。

シマウマに天敵がいなくなって増えまくって困るというのなら、シマウマ用の副作用のない避妊薬を開発して提供するという選択肢もある。

よく考えれば、いろいろな選択肢があるわけだ。

そして、そうした考え方をもって、コロナ問題も考える。


このコロナ騒動は、あらゆる魂たちにとって最善の統治方法なのか?


そうではないのではないか?


世界統治者自身も、同じように支配統治されても本当にそうした支配統治が良いなと思えるのか? 
良いなとは思えなくとも、それ以上により良い選択肢がないから仕方ない…と思えるのか?


他の選択肢はなかったのか?


こうしたやり方が徹底的な熟慮の末に、自分自身にも、あらゆる魂にも最善であると判断したのか?


そうであるならば、どういう判断基準でそう判断したのか?


できるだけの治療もしようとしない者たちに…理由も教えられずに、一方的にダメな奴として殺されることを受け入れるのか?

自分が望んで選んでもない欲望や本能が強制的に植え付けられていて、良心との板挟みになって苦しんでいる魂たちもいる。
彼らは犠牲者だ。被害者だ。

人間を選別する基準の正当性を示す義務もあるし、その基準を示して治療や改善を目指せるようにもすべきだろう。


一方的に、世界統治者の隠された基準で、バンして、消して、それでいい…というのは最善の世界統治ではないはずだ。


そんな世界統治では、逆の立場に立てば、世界統治者たち自身も、より強い者たちには何をされてもいいという意味の選択になる。


であれば、そうした世界統治は、自傷行為だろう。


そもそも人間や動物たちは、自分の本能や欲望を自分の意志で自由に消したり、生じさせたりがほとんどできないように「されて」いるのだ。


つまりは、一種の犠牲者であり、被害者であるといえる。


人間の創造主や世界の創造主の責任こそが問われなければならないのに、なぜ、人間たちの責任にすり替えているのか?


環境問題でも、そうだ。


そんな問題は、世界創造主が世界や人間にそうした問題が発生するような本能や因子を植え付けたことに真の問題があるのだろう。


それは自作自演のいじめ演劇でしかない。


創造した生物や肉体に…わざと不自由な本能や欲望や性質をプログラミングしておいて、問題が発生したらその肉体に宿っている魂の責任だとして、哀れな被害者である魂を断罪し、殺したり、病気で苦しめたりする…

そんな世界創造や世界統治は、犯罪であり、許されないことだ。


だから、自作自演のコロナ騒動は、「良心」に反していて、ダメだと伝えてきた。


必要なのは、悪い本能や欲望を苦しみのない方法で治療し、癒してあげることではないのか?


であれば、逆の立場になっても、問題あるまい。


世界統治者たちの心も病んでいるのであれば、そこにのっぴきならない不自由さがあるのであれば、それを苦痛なく治療してもらい、癒してもらえるならば、嫌でもあるまい。


そもそも世界創造主や世界統治者が、そう意志しなくてどうするんだ?


電磁波と酸化グラフェンで人間や生命を操り人形のようにして有無を言わさず対話もせず…国家権力システムを利用して恐怖政治的に世界統治をしよう…などとは考えるべきではない。

逆の立場になった時に、そんな統治をされたいのか?


今現在は、世界統治者に多少の良心があるとしても、そのような世界統治権を残酷な魂たちに奪われたら、どうなるかについてもちゃんと考えねばならない。


最悪の結果になる。


であれば、あらゆる魂が皆、他の魂に望まれない酷い体験を強制しないようにと意志できるように導くべきであろう。
あらゆる魂が平和的に自治してゆける世界を実現してゆこうとする意志を世界統治者たちは、自らと他の魂の中に育成してゆくべきだろう。


そうであってはじめて世界はより安全になってゆく。

残酷で利己的な魂が次々と生まれてくる世界である限り、いつかは必ずそうした魂たちに世界統治権を奪われる。


だから、そもそもの世界創造、生命創造の原点から見直す必要があるのだ。


その原初にある悪い因子を消して苦痛のない治療を目指すべきだろう。


そして、誰もが自分の体験すべてを自分の意志で自由に選び楽しめる世界にする。

誰もが自分自身の体験くらい、自分自身で自由にできるようにするべきだろう。


他の魂の体験を好き放題にコントロールしようとするのではなく、それぞれが自分自身の体験を自由にコントロールできる自由と権利を提供するのだ。


せっかく世界統治者の地位につけたのだから…好き放題に被支配者たちの心身状態や体験をコントロールしたいのかもしれないが、それなら自分たちも「良心」たちに同じように好き放題にコントロールされることを受け入れるべきだろう。


それが「責任」というものだ。


自分勝手に「責任」の意味をすり替えるべきではない。


上記内容を踏まえた上での世界統治方法における軌道修正を「良心の名において」世界統治者たちに要請する。


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