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わたしがnoteを書く理由。

私の声は届いていますか?
心の声を聞いています。
わたしの心(こえ)は、
届いていますか?

わたしは心の声を聞きたくて
noteを始めました。
わたしの中に渦巻く混沌から
すいっとすくい上げたその声は
わたしの本当の心(こえ)。
だといいなとおもっていましたけれど。
それも、よくわからないなあというのが
正直なところです。
結局のところ、本当の心というものは
ないのかも。心をパカッと開いて
中をずいっと覗いてみても
なあんにもないがらんどうが広がってる。
そこに、なにかあったんだけどなあ?
そんなふうに不思議に思いながらまた閉じる。
そこにまたなにかの気配を感じたり。
それでもさっき見たよね?
なんにもないの。本当の心(こえ)なんて。

何かをつかみかけた気がしても
次の瞬間には消えてしまう。
それは蜃気楼?
ううん、そうではなくて、
確かにあったものが消えるイメージ。
空気のようなものかも。
確かにあるんだから。
でも、目に見えない。
説明をすることで形を与えることがある。
形を与えることが出来れば見える。
それがしたくてnoteしてる。

たのしい?
たのしいのかな。
たまにガーッと書きなぐることもある。
その時は。たのしい。
でも、そんなことほとんど、ない。
どちらかと言えば産みの苦しみ。
何を伝えよう?
何をとらえよう?
そんな迷いを抱えてこの時間を
わたしは毎日過ごしている。
それを重荷になったといって
やめてしまった人もたくさんいる。
たのしいとは、つらいということ。

ただ楽しいことなんて、あるのかな。
楽しくて没頭しても疲れて最後は嫌になる。
疲れない楽しいなんて、ないと思う。
それなら、noteを毎日記すことだって
苦行となって当然だ。
それがある日突然に楽になるなんて
絶対にない。

わたしは、来月2日くらいで、約半年になる。
noteを初めて半年。毎日更新して、……いつからだっけ?別に毎日更新じゃなくてもいい。でも、毎日仕事に行くように、毎日noteを書いていたほうが、楽ちんだなと思うことがある。1度立ち止まってしまうと、次の1歩がどうしようもなく重量を持ってしまう。そうなったときの産みの苦しみは、今の比ではないだろう。描き続ける勢いのままに、わたしは描き続ける。それは、書きかけのラブレターのようなものだと思う。そのときの荒々しい気分、悲しい気分、ウキウキした気分。それら形のないものに形を与えること。それがわたしがnoteを書く理由。

世の中に提言するものではない。
誰かに届けたいメッセージでもない。
いつか、わたしが振り返った時に
わたしを優しく包み込む存在でいたい。

私の声は届いていますか?
わたしの心(こえ)は
私(あなた)に届いていますか?

今日は金曜日。
お疲れ様でした。

MUSICAでした...♪*゚

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