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人生の後半戦をどう生きるべきか。

これだけあちこちで言われればもはや耳タコである。後半戦を幾つからと定義するかにもよるが、ここでは40代からとしたい。私がその年代であることが大きな理由である。

後半戦は学び直しをせよ。そんな記事を沢山見てきた。過去のスキルを応用するだけでは立ち行かなくなる世代。それが40代。新たな知識を習得してそれを血肉として身につけすぐに現場で活用できるようにすること。言うは易し行うは難し。どうやってやればいいの。

経験は武器である。知識は財産である。そう言われることの方が分かりやすい。だってそれなりに経験値あるもの。たくさんの失敗、たくさんの過ち、いくらでも出てくる。叩けば叩くほどホコリが出てくる。それは勲章みたいなものだ。なにせ、どうやったら失敗するのかについて呆れるほどトライアンドエラーをしてきたわけだから。どうやって失敗したか?を極めると、もうどうやっても失敗しないような振る舞いができるようになる。それがわたしの経験から得た教訓である。伊達に失敗続きの人生を送ってなどいない。

しかし、そのことを推奨する論調の記事に出会ったことがない。たいていの記事は学び直しを指南するに留まる。新たな学び直しとは何か? 知らないことを知るという漠然とした回答では、なんの明確な目的もなく英会話を学ぶことと変わらなくなってしまう。目的と行動はひとつのベクトルで結ばれなくてはならないからだ。で、何を学べばいいんでしたっけ。

プログラミング?エンジニア?インターネット?SNS?マーケティング?どれも重要なファクターであることは理解出来る。しかし、それをいきなりトーシローのわたしがそれらを学び始めたとて、実践で使えるようになるにはどのくらいの時間と労力がかかる?それらを体得する時に世の中がそれ以上の速さで変化していたのであればその知識はまたたくまに陳腐化し、使い物にならなくなってしまう。必要なのは新たな知識の蓄積ではなく、何が大切で何が重要なのかを判別する能力の方ではないのか。それらを判断するにはまず経験が要る。そして次に知識だ。先程も言ったように経験ならそれなりにある。それが40代の強みだ。次に知識だがそれは座して教科書を1枚1枚ペロリと舐めるように読み耽ることではない。サッと調べた程度の浅い知識でよい。ざっくりとそれがどんな情報で、何に使えそうなのか?それが分かればあとは詳しい人に聞くか、任せてしまったほうが手っ取り早い。

つまり効率を重視して、なるべく簡単にかつ素早く回答を得る方法を探ること。そしてそれを躊躇せず実行できること。それがわたしたちが手に入れるべきスキルの大雑把な方向性だ。

そうなると何が必要か?それはまず新鮮な情報をなるべく、リアルタイムに手に入れ続けるための情報源を担保することが望ましい。情報源は一つや二つではなく多ければ多いほど役に立つ。わたしはそれを私の好きなビジネス系YouTubeとネットニュース(東洋オンラインなど)に定めた。そこから逐次配信される情報をいくつも見比べながら自分の中でコモンセンスを獲得していくというルーティンである。そして。得た情報はインプットするだけではなく、こうしてブログやnoteなどの発信メディアを使って私なりにアウトプットしていくというフローまでを確立。それを無理なく毎日のようにこなして行くルーティンフローも確立した。こうしてわたしは常にリフレッシュされた情報を蓄えていくことを自らのライフワークに取り込んだのである。

次にわたしは得られた知識や新情報を直ぐに試すフットワークに着目した。知識は実践してみなければ身につかない。そう信じている私はとにかく新しいテクニカルなスキルを得た場合、すぐさまそれを実行していきながらも、少しずつ改善。わたしがやりやすい方法、ないし、上手くいくにはどうすればいいかという視点も織り交ぜつつ私の中のスキルアップを目ざした。それはゆっくりとしたペースかもしれないが、着実に昨日の私を超えていく作業であった。新陳代謝という意味ではかなりの成果があったと思っている。

そして。わたしは失敗を繰り返しつつやるべきことを明確化させ、日々自らをアッブデートさせることにある程成功したと思っている。しかし、当然ながらそれで十分であると言えば嘘になるだろう。

だが、わたしは十分でないと感じつつもわたしはそれを当たり前とすることが先決だと決めた。それはまるで孫悟空と孫悟飯が精神と時の部屋で修行することで、スーパーサイヤ人であることを常習化させることに成功したような感覚に近い。それを先ず出来なくては、次のステップに進むことは適わないからである。

次にわたしは中長期的な目標を立てる必要性を感じている。1年というスパンでの私の身の処し方はわかった。こまかく1週間単位、1ヶ月単位で意識することも出来るようになった。もっと言えば一日単位で自分の動きをコントロール出来るようにはなって来ている。ところが3年後、5年後、10年後というスパンではまだまだ先を見通すことなどできていない。ぼんやりと、文章を書くことで務まる仕事という漠然とした方向性はあるのだけれど、それにしたってどこにチャンスがあるか分からない。小説家になりたい訳では無いので、わたしはどこを目指すのかについてはまだ砂漠の中だ。この当たりについてはまだ言語化出来そうにない。

やりたいことをやれるようになるための訓練が、仕事の意義なのであれば、わたしはその延長線上にいる。人は出会いによってしか、自らの生き方を変えることができない。人と出会うためのきっかけ作り。それこそが、私が望む仕事の有り様であり、そこにこそ、わたしが気づかないような可能性が広がっている。わたしはそう信じている。

MUSICAでした...♪*゚

答えを探そうとする姿勢と同じくらい大切なのが答えを一旦保留にした後、その考え方をもう一度どこかで思い返して眺めてみるということだ。当時の私がそれを考えることをやめた時、どうしてもたどり着けなかった気づきに気づくことがよくある。それは考えが足らなかったからに他ならないけれど、そのことに気づくために時間が必要だったという単純な理由もそこには往々にしてあるからである。

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