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……という設定。偶然のメッセージャー。

今日は金曜日。いつもなら明日から始まる週末に心躍らせつつ、平日最後の業務に追われてバタつくわたし。だが今日は祝日。昨日から祝日が連続している。つまりいつもの週末からすれば今日は日曜日に該当するわけだ。

とあるtweetで、自分なりの四連休の過ごし方を提案している人がいたので紹介したい。まず昨日を土曜日と仮定して今日を日曜日と思い込む。ここで大切なのは明日から仕事だというテンションにする。つまり……という設定だ。そして大事なのは絶対にそうだと思い込むこと。なんなら、テレビで日曜日に放送しているアニメを動画配信サイトで視聴し、敢えて日曜日を視覚的に演出するのも効果的である。そして今日は日曜日だと徹底的に思い込む。信じ込む。そして先程の明日は仕事だという気鬱なテンションにしていく。そういう設定になるように自分を追い込む。……できただろうか。できたよね?そうその気持ちだ。忘れてはならない。そして日曜日の午後の暗く何もしたくない気持ちになったかい?そしてここからが重要だ。仕上げだ。これまで自分を追い込んだのはこれからすることのための伏線である。準備はいいね?OK。じゃあお教えしよう。なに、簡単だ。いますぐカレンダーを見るがいい。今日は何日だ?7月23日である。つまり……金曜日なのである。どうだろう。そうだ。おめでとう。夢を見ている訳では無い。現実だ。そう。あなたには明日からもう一度週末が待っているのだ。ぶっ飛んだだろう?OK。え?何も思わない?おいおい、そんな貴方に逆に質問させてくれ。この事実にぶっ飛ばなくて、貴方は一体他の何にぶっ飛ぶというのか?

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わたしもよくこの設定というスキルを活用することがある。それは主にウィークデーの辛さを忘れるためにするものだ。今日の夜の楽しみを想像したり、今日を何曜日かなんて敢えて考えないようにしたり。これはつまり現実逃避である。辛い現実からとにかく目を逸らし少しでも辛い日々を忘れるのだ。わたしはさらにそれを進めて、お昼休憩にはよく瞑想しているくらいである。寝てはいない。あくまで。瞑想だ。マインドフルネスを目的とした瞑想は脳内をスッキリさせてくれる。甘いものを食べたり、炭酸飲料を飲んだりするのもその一環である。つまり一瞬の無。そのエアポケットを平日に作り出すことで溜まったもやもやを打ち消すのだ。たとえそれがいっときの幻であったとしても。この設定というやり方はまさにその点をうまく利用した素晴らしいスキルである。これを考えたのはわたしではないが、発案者は天才であると断言したい。素晴らしい言語化である。

ストレスを解消するためのあらゆるコツはみなそれぞれにもっている。タバコを吸ったり、水やドリンクを飲んだり。私の場合は瞑想。あとは……今やっているようなブログである。頭の中に色んな考えが交通渋滞を起こすことがよくあるわたしは、交通整理をしなくては立ち行かなくなることが頻繁に起きる。それを解消するためには頭に溜まってしまう言葉を吐き出す必要があるのだ。考えを文字に起こして誰もが見える状態にすることで、わたしはその考えを忘れることができる。つまり、言葉を置きにいく作業だ。そうすることで頭の中のストレージを軽くする。

めんどくさい性格だと私も思うが、いつもそうなのだ。仕方がない。私の中は常に言葉が渦巻いている。その言葉は渦を巻き、私に問いかける。「このままでいいのか?」「いますべきことは何か?」「今選ぶべき正解は何か?」この3つの質問はわたしを常に責めたててくる。

わたしを癒す究極のリラックスは、一言で言えば気づきだ。それは偶然でなければならない。そして常に運命的である必要がある。それは出会いだったり、ヒラメキだったりする。その天啓とも言うべき瞬間はなかなか降りてこない。まるで雷に打たれたように我が身に起きるそれはわたしを強烈に肯定する。ときに大きく否定することもあるのだが。だがどちらにせよ、それが降りてきた時。わたしはとても幸せな気持ちになる。最近では?エオルゼアで友達と2人で過ごしていた時に感じた。この人はわたしに偶然のメッセージを届けてくれるメッセンジャーだと確信した。スピリチュアルな話をしてすまないが、わたしは守護霊を信じている。守護霊は皆、直接メッセージをわたしに届けてくれない。なにせ守護霊が誰なのかすら、わたしは分からないからだ。もちろん、触れることも、感じることもない。個人的にはわたしの祖父か、昔飼っていた犬だと思っているけれど。その守護霊はわたしにメッセージを届けようとする。それはどうやってくるのか?それがわたしに訪れる偶然として発露する。つまりそれが私の言う偶然のメッセージだ。

何度も言って申し訳ないが、わたしは運命的な偶然のことを、運命の出会いとか、運命の相手だと、恋愛脳として捉えていない。恋愛とは勘違いであることは私は何度も言っていると思う。結婚もまた勘違いである。だがそれは必要な勘違いだと思う。否定はしない。だが、私がここで言っている偶然のメッセージとは、ソウルメイトとの出会いのことだ。私の言うソウルメイトとはわたしという魂と呼応して何らかの運命的な共鳴を起こす失われた半身の様な存在である。わたしの魂がその人を求めてしまう。それは今生の結婚という意味では決してない。過去から続くわたしという魂が求める出会いだ。それが何を意味するのか?それはわからない。守護霊が寄越すメッセージに意味を見いだしてはならない。ただ素直に享受するだけだ。その行く末を見届けるだけである。それはわたしの存在を肯定する未知なる世界への鍵である。わたしはそう理解している。なぜなら、偶然のメッセージは偶然の体を成してはいるが必然であるからだ。必要だからそこにある運命である。それを感じ取ることはできない。だが受け入れることで見えてくる次のステージがあるのなら、わたしは選び取りたい。その選択が「正しいのか」は、選んだ人だけが知ることが出来る真実の道である。

MUSICAでした...♪*゚
私が言う偶然のメッセージャー。
それは君だ。わたしはいま確信した。
やりたいことをやるための
ソウルメイト。あなたとの出会いは
偶然のメッセージそのものだ。

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