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自己満足?いいじゃないか。

ブログで儲ける方法をよく見かける。いわゆるアフィリエイト等であるが、そのときによく言われることがある。それがこれだ。ブログを続けているのはいいが、自己満足で終わっている。だからあなたは稼げないのだ、これである。

ブログを書く理由に、儲けたいという気持ちがない訳では無い。何かしらの商品をオススメしてそれが売れたら報酬を得る……それがアフィリエイトである。そこにはセールスライティングという考え方があり、売るための数々のテクニックが存在する。わたしはアフィリエイトをやろうとしたこともあるので、別にアフィリエイトを批判したい訳では無い。単に私が特殊だからである。わたしは、私の考えることを文字に起こすことで、私の内面のバランスを保ちたい。これが第1の目的。第2の目的は、私の考えを誰かに説明するための練習である。わたしはどうも説明が下手らしく、今までの人生で散々な目に遭ってきた。コミュニケーション下手をこじらせるとこんなにも人生は生きづらいのかということを実体験として経験してきた。そんな人生を見つめ直したキッカケがオンラインゲームだったわけだが、その中でもわかりやすくわたしはいくつかの衝突を繰り返した。そこでわたしは挫折しそうになったのだが、すんでのところでわたしは救われた。それは言葉の力である。自分を包み隠さず表現する勇気。自分の中にある好きを好きでいる勇気。それらをわたしは教わった。その勇気こそがわたしが私自身を好きになるために必要な前提条件であったことを今更ながらに気づいたのである。

ここでよく言われるのが、先程の、自己満足である。自己満足。大いに結構。自分で満足できなくて、どうやって幸せになれるというのか。自分で納得し満足してはじめて、他人を理解し合える関係を結ぶための土台が生まれる。それを持つ第1歩。それが、自己満足である。自己満足は素晴らしい。自己満足と、自分勝手は違う。まず自分が満足できて、その上で相手を満足させるにはどうすればいいかを考えて実行する。それが、コミュニケーションの基本である。それが、文字になったもの。それがこの、noteである。自己満足と言うなら確かにそうだ。だが、もう1人の私に投げかけられるように綴られるこのnoteは、わたしからわたしへの交換日記である。辛い。悲しい。怖い。不安。そんな気持ちを抱えたままで安心して夜に眠ることはできない。言葉を吐き出して、それを丁寧に論理建てて文字にすることで、心の中に渦巻く感情を落ち着かせることが出来る一種のセラピーだ。わたしは職業柄、文字で情報を整理したり、伝えたりすることが多い。それはほとんどの場合、わたしという観測者は不在だ。つまり、私個人として感じるあれこれはまるで存在しない。楽しいとか、美味しそうとか、魅力的とかそういう言葉は出ては来るがわたしは思ってなどいない。だからこそに虚無が生まれてしまう。私ではない私が何かを表現するために文字を選び連結させていく。それはある意味でパズルゲームのように面白さはあるのだけど、同時に心が乾いていくのを感じることがある。その乾きを潤す為のブログがあってもいい。それこそがこのnoteに期待される最大の効果だ。お金を儲けることはできていない。それは普段の仕事の私が引き受けている。わたしが文字を起こすことで生まれる広告としての価値がそれだ。ならばこのnoteはわたしのわたしによる、わたしのための言葉であって欲しい。せっかく手に入れた表現する力も、私の内面を映し出す鏡としての力を発揮することが出来なければそれは虚無以外の何物でもないからだ。

わたしは今日もこのnoteに言葉を残していくれはわたしがやりたいことだからだ。それでお金を貰っている訳では無い。強いて言うなはここでの表現の訓練が、わたしの仕事のライティング能力の向上につながってくれればいい。わたしの言葉はどこか支離滅裂で、回りくどいときがあるけれど、それでもまた、今日みたいに、昨日みたいに、わたしがnoteにまっすぐ向き合い、私の内面の鏡としての役割を果たしてくれるのなら、これ以上有り難いことはないと思うのだ。自己満足?良いじゃないか。自分で自分を満足させることが出来るのなら、満たされた気持ちを周囲の人にわけ与えればいい。そうして思いやりの輪が広がるのだ。

MUSICAでした...♪*゚
この結論にたどり着けてよかった。

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