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【小説】天国へのmail address 第二章・夏休みの大事件

夏休みの大事件
 
 橘が家に戻る頃には、朝顔が元気いっぱい我先にと晴れわたる大空に向かって背伸びをしていた。橘はポストから朝刊を取りいつもより軽快に言った。
「ただいま」そう言う橘に向かって、妻の紀子(のりこ)は心配顔で「お帰りなさい。いつもより時間がかかりましたが、少し遠くまで歩いたのですか? お医者様には決して無理をしないようにと言われているのですから気を付けて下さいよ」と言った。
「ああ、分かっている。今日もいつものコースしか歩いていないよ」橘はリビングルームのソファーに腰掛けると新聞を広げた。
「いつものコースにしては時間がかかりましたね」そんな橘に紀子はお茶を進めながら言う。
「うん、そこの公園で可愛い友達が出来てね、いろいろ話し込んでしまったからね」
「可愛いお友達とはずいぶんお盛んだ事」
「何をつまらない事を。宮山小学校の小さい後輩だよ。それより君はLINEのやり方を知っている?」
「私はガラ携ですよ。メールで充分用は足りますよ」
「そうだよな! Eメールで用は充分足りるよな、でも、今はLINEが主流らしいよ」そう言いながら橘は新聞のある記事の見出しに目が止まった。『小学生男子児童夏休みの体育館で死亡! 自殺か?』そう書かれた記事は地方面に載っていた。
「優君が言っていたのはこの事か?」
「何か載ってますの?」紀子は橘にお茶を出しながら聞いた。橘は記事に一通り目を通すと内容をかいつまんで説明をした。
「宮山小学校で四年生の児童が学校の体育館で亡くなったようだ。発見したのが六年生の男子児童だって」
「ショックですね。私達の母校ですものね」
「亡くなった子の親御さんもだが、発見してしまった子も相当なケアーが必要だろうな」
「原因は書いてないのですか?」
「まだ書いていない」
「事が起こってしまってからいくら大騒ぎしてもどうにもならないのに」紀子は母親の気持ちを考えて悲しそうにうつむいていた。
「まったくだな。教師が自分の担当する子ども達ひとりひとりをしっかりと見つめていれば、ほんの小さなSOSを見逃さなければ、きっと防げたかもしれないね」
「まだ自殺とは限らないでしょう?」
「そうだね。でも夏休みの体育館でなんてそれ以外考えられないじゃないか」
「……」
「君は霊感があるのだから体育館へ行って話を聞いてみれば……」
「霊感だなんて嫌ですよ。そんなの持っていませんわ」
「いや、若い頃に座敷童が出ると言われている遠野の旅館に泊まった時、夜中私が目を覚ますと君は紙風船で誰かと遊んでいたじゃあないか」
「確かにあの晩は不思議な体験でしたがそれから何もありませんし霊は見えません」
「それより、あなたが今日お友達になったお子さんは大丈夫でしょうか?」
「優君は明るく元気だったよ。ただ、お母さんが学校の役員をしているらしく、寂しそうにこちらを見ていた」
「夏休みもやがて終わりですから、学校も教員委員会も大変ですね」
「大変なのは子ども達だよ。もし自殺であって『いじめ』が原因だとしたら火種はまだ残っていると言う事だからね。」
「困りましたね。私達の頃は『いじめ』なんてなかったし、先生も子どもの事を真剣に見つめてくれていたのに」
「時代が違うよ。今は令和の時代、私達が育ったのは昭和。三時代も前の話だ。教師の立場も環境もずいぶん変わったのだろう。母校と言っても残っているのはポプラ並木くらいだろうかね」
「今の先生方も大変なんですね。一年前には女児虐待で父親が逮捕されたばかりだし、あの時も学校の先生が子どものSOSに気づけなかったとたたかれましたしね」
「でも、『大変』という言葉で片付けられる事ではないと思うがね」
「そうですね。命の問題ですからね。今の教育長は確か私達の同級生でしたね」
「阿部(あべ)君だ! 良い教師だった」橘は、学生時代に彼と共に教育実習に行った事を思い出していた。落ちこぼれの橘に比べて阿部は初心貫徹、中学校の教師になった。
「まあ、自殺とは書いてないから、何らかの事故かもしれないし、私達が大騒ぎする事ではないだろう」
「新しい友達が出来たのだから、あなたもまだまだ頑張んないとね」橘達は子どもに恵まれなかった。だから橘は新しい友達が出来た事が嬉しくてたまらなかたのだ。
「ああそうだな。でも……」
「お医者様が何と言おうと病は気から! やりたい事をやって美味しい物をいっぱい食べてね」紀子の笑顔に橘は救われている気持になった。たとえそれが空元気だったとしても嬉しかった。
                               つづく


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