シェア
ふたりの医師が駆け込んできた。看護師もふたりだったろうか。その看護師のひとりが、「急いでご家族に知らせてください」と叫んだ。 (急いでといわれても) わたしは、緊急の事態にドキドキしながらも呟いた。(ここから三時間もかかる所に住んでいるんですが) そしてこうも呟いた。(姉は昨日、一度家にもどりました。お医者さんが、「しばらくは安定していると思います」、そうおっしゃったからです。まだ子どもが小さいんです。三日間、こちらに来て看病していたんです。お医者さんに容態を確かめて
十二月三十日の午前零時を回って何分くらいだったろう。義母が息を引き取った。娘と三人の孫たちと義理の息子が看取った。 一九九七年十二月三十日。 その六時間ほど前、皆で、買ってきた牛丼を食べた。個室を与えられていたので、家族はそこで食事ができたのだ。 義母はその様子をうれしそうに見ていた。声はもう出なくなっていたと思うが、目が優しかった。見守られているという気がした。 私たちにも、義母のいのちの時間に限りがある、という覚悟のようなものはあった。重い病状であったから。け