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ふたりの医師が駆け込んできた。看護師もふたりだったろうか。その看護師のひとりが、「急いでご家族に知らせてください」と叫んだ。 (急いでといわれても) わたしは、緊急の事態にドキドキしながらも呟いた。(ここから三時間もかかる所に住んでいるんですが) そしてこうも呟いた。(姉は昨日、一度家にもどりました。お医者さんが、「しばらくは安定していると思います」、そうおっしゃったからです。まだ子どもが小さいんです。三日間、こちらに来て看病していたんです。お医者さんに容態を確かめて
臨終の夜に響いた讃美歌 一九九〇年、六月二十四日となって数時間の時、国立M病院の深夜の廊下を、僕はひとりで歩いていた。姉に母の死を知らせる電話をかけようとしていた。玄関口の待合室に置かれた公衆電話を使おうとしていた。携帯電話などない時代である。 昏く長い廊下だった。 まだ三十分も経っていない、母の臨終からの時。 痛いほどの悲しみはまだ来ず、むしろ、頭はしんと冴(さ)えている。今しなくてはいけないことを、いましているだけ、というぎこちなさをどこかで感じながら。 *