声が伝えるもの

ようやくコロナウイルス禍の終わりが見えてきた。

世の中にソーシャルディスタンスが定着し、人と人との適度な距離感が心地いいと感じた人も多くいるだろう。満員電車、レジャー施設、デパートのエレベーター。

コロナウイルスが訪れる前の生活が戻ってくるということは、それらの日常も戻ってくるということだ。コロナウイルスが教えてくれた、人との距離感も、いつか忘れ去られて、喧騒と三密の日常に私たちは戻っていくことになるのだろう。

東京都内でのアンケートでは、テレワークに切り替えた人の6割以上が、このままテレワークを続けたいと答えた結果などを見ていると、特に東京のように人との距離が近いところほど、そう感じてしまうのかと思ってしまう。

テレワークに切り替えれば、当たり前だが、メールやチャット、様々な通信アプリを使用した生活になる。スマホが普及した現代では、Skypeやzoom、iPhoneのFaceTime機能を使って会話を楽しむこともあっただろう。

そのような通信機能の活用を行えば、より効率的な情報交換や、無駄な会議の時間を無くし、自分の仕事に集中出来る。

私も在宅でテレワークを行い、電話でクライアントと会話し、メールで情報を共有し、という生活を過ごした。

それで仕事の効率は下がったわけではなくて、むしろ集中して仕事に取り組めたと感じている。どうせ、人とは会うことは出来ないのだからと割り切っていたが、この自粛期間に発見したことがある。

電話だ。

電話は相手の顔が見えない。大抵は他の仕事をしながら、スピーカー機能を使って会話をするのだが、この何でもない日常を伝え合う時間が、とても心地いい。

顔が見えないから、その声に集中する。

相手の機嫌はどうだろう?この時間に電話して大丈夫か?そう言えば、この間ささいなことで喧嘩になったけど謝ったほうがいいかな?明るい声を聞くと、こちらの気持ちも明るくなる。

コロナウイルスは、適度な距離感を保てる電話という通信法が持つ大切さも教えてくれた。情報が声しかないというのがいい。相手の顔色を窺わなくていい。

顔を見ながらの通信機能は、それはそれで楽しいが、電話が持つ相手との適度な距離感が心地いい、という発見は、家族や友人、恋人との古くて新しい気持ちの通い合いだと思えた。

ソーシャルディスタンスがあっても無くても、普段、遠くにいて会えない友人に、電話してみようと思う。

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