ニュースの裏側(2021.3.19)

選択的夫婦別姓

現在、立憲民主党、共産党は選択的夫婦別姓を取り入れた法改正をすべきだとの主張だが、これは戸籍法の改正ないしは廃止を目的としている。

曰く、世界で夫婦同姓を義務付けているのは、世界ひろしと言えど日本だけで、世界の潮流に合わないからだと言う。

また、氏を変える場合、96%が女性側であり、女性に対し個人の人格や本人の意志を尊重しておらず人権侵害であるとも言う。

従って、夫婦であっても別姓を名乗ることを法律で担保すれば良いというのだ。

日本は憲法、民法、地方自治法、戸籍法で個人や社会の最小単位である家庭について大きく私権の範囲を認めている。現在のマイナンバー制度が誕生するまで、これらの法律に基づいて、日本国民であることを担保してきたのが、民法であり戸籍法だ。儒教や道教の流れを汲む「道」や「家」制度を取り入れた日本文化が底流にあることで、家族制度による国家と国民とのつながりを法律で担保したのが戸籍法だ。

その文化的背景を重んじる保守層から、仮に戸籍法の根幹である夫婦同姓を辞めてしまったら、日本古来の家族という概念が失われてしまうと危惧するとされる。特に自民党議員の中には根強く反対する意見が多い。

現実問題として、夫婦別姓から戸籍法廃止に至ると、国民個々をどのように特定するかの方策が無くなってしまうという問題もあるだろう。日本国民であることの証明、或いはあらゆる行政サービスを遍く国民全体に行き渡らせるため、現在はマイナンバー制度が作られているが、まだ、十分にその利便性や必要性が認識されていない以上、戸籍法の廃止まで一気に進むには、環境が整っていないという意見もある。

私も同意見で、将来的にはマイナンバー制度の充実が不可欠であるとしても、2021年時点でマイナンバーカードの普及率が25%程度にとどまっていることが、マイナンバーへの理解が進んでいないことの表れだ。

物凄く具体例を言うと、実はマイナンバー制度は地方自治法にも深く関係している。マイナンバーカードを作成すると分かるが、例えば写真の解像度が、運転免許証と比べ格段に低い。これは各自治体によって異なっていて、総務省は最低画素数を自治体に通達している筈だが、データの保管容量の問題等で、そういった実務面が追いついていないのが現状だ。また、マイナポイント等を使いマイナンバーカードの普及に取り組んでいるものの、縦割り行政の弊害が、地方分権が進まない現状と相まって中途半端な状態のままだ。

選択的夫婦別姓問題については、議論を深めることは大事だが、実務が追いつかないことが1番のネックであり、お決まりの「人権がー!」「女性差別がー!」の議論を優先させたら、イデオロギー先行のポリコレになってしまう。もちろん、ポリコレが悪いとは言わないが、実務を追いつかせる土壌が出来ていない中での論争は、政治問題化させたい野党の暴論に乗せられるだけになり、国民目線が置いてきぼりになってしまうだろう。

アメリカのコロナ対策と日本のコロナ対策の違い

3月6日、アメリカの上院は、新たなコロナ対策費として日本円で200兆円規模の予算を可決した。以前から、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長や民主党議員から大規模な補正予算の提言があり、既に下院で可決していたものを、上院で修正法案として再提出され可決したものだ。

バイデン大統領をはじめ、アメリカ民主党の政策の多くは、大きな政府、つまり連邦政府がアメリカ国民の生活の安定のため、大規模な予算を組むことを念頭に置いている。これはトランプ前大統領の共和党も同様で、今回のコロナ禍に際し、国民全員にまず一次給付金を配ることを行なったが、今回の民主党の政策はより大規模なものとなる。

一方、二度目の緊急事態宣言を出した日本政府の対応は、生活に困窮した国民に二回目の給付金配布に及び腰だと言われ続けている。これは、野党のみならず自民党内部からもそのような声が上がってきている。このことに苛立ちを感じている国民も多くいるだろう。欧米でできたことが何故、日本に出来ないのか?という疑問もあるだろう。

このアメリカと日本の政策の違いはどこにあるのだろうか?

ここで触れておかなければいけないのは、今回、アメリカで国民全員への一律給付を行う大規模な予算が組まれたことで、世界でもトップクラスの財政出動となりそうだが、現実には今でも日本政府が出す財政出動が世界トップの金額だ。

国民にその実感が湧かないのは、一人一人の手元に現金が届かないからだ。

ところが、アメリカの大規模な財政出動を行なってもなお、アメリカでは約3,000万人が新型コロナに感染し、52万人が亡くなっている。

アメリカの民主党の政策が、国民生活のために思い切った政策だと評価する声を聞くこともあるが、その民主党の政策を持ってしても、アメリカで感染者の増加と死亡者の増加が抑えられないのは何故だろうか?

日本政府との違いはどこにあるのだろうか?

これは、コロナ禍においてどこに焦点を当てて対策を行なっているのか?という違いがある。

アメリカは個人に対しての方策は講じるが、企業に対しての対応は余りない。一方、日本は企業に対して真水を投じて、個人個人への対策は国民への要請にとどまっている。

見方を変えれば、アメリカは個人は守るが企業は守らない。

日本は、企業を守ることを優先する。

2020年、コロナ禍においてアメリカでは日本円で50億円以上の負債を抱えた倒産件数は130件を超えている。また、莫大な感染者数と死亡者数に上っている一つの理由がここにある。つまり、日本人は元からマスク着用に抵抗感が無い生活習慣であるとか、ハグしない習慣だと言うが、一面でそれは要素ではあるが、アメリカは私権制限に対しての国民の抵抗感が大きいからだ。つまり、アメリカ民主党は国民にお金を配るから大人しくしておいてほしいと願っているが、アメリカ人は「自由」と「平等」の国なので、政府の言うことを聞かない。

個人の権利を国民自身が強く主張するため、お金を直接配る等、個人を支援する政策をしない限り、国民が言うことを聞かないのだ。

日本は、国全体が一つの巨大な経済を形成しており、そうやって高度成長期を通ってきた。一例は終身雇用制度だ。国が社会保障体制を確立させるから、各企業は終身で労働者を雇い、生活の安定を補償してきた。それゆえ、国民も安易に職を失うと言う危機感を持たず、企業のために一生を捧げることに抵抗感が無い。だからこそ、政府は、日本の経済基盤を支える中小零細企業が安易に雇いどめをしたり、倒産に追い込まれることを抑制するために財政出動で企業を下支えする。

この違いを分かっておかないと、安易に国民に給付金をばら撒けば良い、とはならないのではないか?

ただし、二回目の地域限定的な緊急事態宣言の解除だけだと、感染拡大を抑え込みながら経済を回すことは不可能だ。一番は、ワクチンの普及と接種が遅れている点だ。

第四派の兆候はゼロとは言えず、また首都圏のみならず、経済は県境に関係なく流動しているのだから、そろそろ、二回目の特別給付金をやってもいいように思う。

政府は、困窮世帯に対して、子供一人当たり5万円の追加給付を決定したが、それだけでは足りない。経済の全体像を考えれば、国民全体への一律給付を行うべきだと考える。

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