見出し画像

どうして生じた?領解文問題 vol.2

松月博宣ノート

⑥現代版「領解文」制定方法検討委員会

さて勧学寮がご消息に同意した経緯に話を戻しましょう。
ここで少し、その前段階をお話しした方がわかりやすくなると思います。現代版「領解文」制定方法検討委員会なる訳のわからない委員会(注/寮頭発言)が設置されたのは2022年4月1日付け宗則によってです。これは2022年3月25日、宗派の議決機関である常務委員会で法規事案「現代版『領解文』制定方法検討委員会設置規程宗則案」として提案され、その提案理由として「第1期計画当初から懸案事項であり、制定方法を含め更に慎重に検討を進めたい」「制定が遅れていることに対して各方面からお叱りを受けている」
と説明があり、結果として賛成多数により議決されたものです(宗会ではありません)。現在はこの常務委員会が全ての決議をし宗務の執行の後ろ盾となっています(宗本区分されてから以降、宗会による行政チェック機能は失われつつあるのが現状です)。この議決によって「制定方法検討委員会」は2022年8月9日に委員6名が指名され発足しています。

委員長に徳永一道勧学寮頭
委員には
浅田恵真勧学寮員
太田利生勧学寮員
北塔勧学和上
入澤 崇龍大学長
満井秀城総合研究所副所長・勧学

と、まさに権威付けに相応しい顔ぶれでした。この委員会に勧学寮員と勧学さまを加えている総長の人事の妙が見えます(流石です)。

同年9月5日から11月8日の間に5回の委員会が開催され答申書を総長に出しています。その答申書内容は、

現領解文の精神を受け継ぎつつ、現代において「念仏者として領解すべきことを、正しく、分かりやすい文言を用い、口に出して唱和することで、他者に浄土真宗の肝要(安心)が伝わるもの」を制定するのであれば、法灯を伝承されたご門主様にご制定いただくほかはない

とご門主が制定するものと誘導しています。もっとも答申案の文案は委員の意見を参考にしながら、宗門総合振興計画での「現代版領解文の制定」事業を担当する「総合研究所」と「統合企画室」が文書にしたものですから、総局の意向が入っていることは否めないことは分かりますよね。

答申は続いて法規上の裏付けを2つ挙げています。

1、門主は総局の申達によって、教義の弘通のため、又は特定の事項について意思を宣述するため、消息を発布する
2、前項の消息の発布は、あらかじめ勧学寮の同意を経なければならない。

これは宗法第3章門主の項の第11条消息で規定されていますので、この度の消息発布の法規的根拠(私に言わせればアリバイ工作)を書き込んでいます。

⑦「制定方法検討委員会」答申書

「制定方法検討委員という権威ある方々が決めた上で発布されたのですよ!」との法規的裏付け(アリバイ工作)がなされたのですが、ご消息つまり、新しい「領解文」はこの方々によって認められたものでありますよと言わんばかりの答申書の使い方でした。

もう一つ答申書には委員から出た意見も書き込まれています。

1、現代版「領解文」という表現は、従来の『領解文』との混乱を招く表現であるので、新たな名称を検討すべきである。
2、主観的な信仰告白と客観的な真宗教義の要約は相いれない面がある。
3~6は割愛し
7、僧侶・門徒の規範となるようなものであり、しかも聞いた者が真宗の教えに近づける性格の両面を持ち合わすこと、つまり「真宗ご法義の受けとめと表出」ということになる。

「1」は、新しく制定するものには「領解文」という名称は使うな。「7」は、領解とは自らのご信心を出言するもの。と従来の領解文の精神を欠かしてはならないという意見です。しかし、これらは全て見事に無視されていたことが、のちに勧学寮へ諮問された消息で分かったものだから、勧学寮員方が「口が開いて塞がらない、驚天動地するもの」状態だったのです。

また答申書にはさらに「付帯意見・提言」が添えられていました。それは

1、今後制定される現代版領解文は従前の『領解文』とは別に位置付けられるものである。
2、現代版領解文は、僧侶・門信徒を対象として「安心・報謝」に焦点を当てたものと捉えて「信心正因」「称名報恩」を表現することとし、また、他者にも伝わるという観点から、簡潔で現代的な唱えやすい文言とすべきである。
3、(前文略)師徳や法度は、歴代宗主の法灯伝承の背景と定めを全て認識することとなり、それらを簡潔に表すことは非常に困難ではないか。
4、『領解文』(筆者注、これは今まで出言していた領解文のこと)については、現代の人々にも分かりやすく伝わるよう解説本を作成し、さらに普及につとめなければならないのではないか。
5、本委員会の設置目的にある「権威あるもの」とは、強制し服従させるとの意味に受け取められかねないため、その文言に固執することなく門信徒に広く用いられるものにすべきである。
(今まさに権威付けし唱和推進の根拠としているのではないでしょうか?)
6、現代版「領解文」を改悔批判で用いるのか否かについては、十分検討すべきてあり、本委員会の協議において、御正忌報恩講における「改悔批判」では、現場の『領解文』を用いるべきとの強い意見があったことを付記する。

これらに、今までの領解文とは別に位置付けすべきとか、今までの領解文の解説本を出すべきとか、師徳は表現は困難とか、権威あるものとは不適切だとか、改悔批判には今までの領解文を使うべきとか、総長(総局)の勢いを何とか止めようとする姿勢は垣間見ることが出来ます。で、この答申書を諮問した総長に出したのが、2022年11月8日のことでした。そうです、つい5ヶ月前のことなのです。

⑧答申書のその後

2022年11月8日に答申書を提出した「現代版領解文制定方法検討委員会」の設置趣旨は、現代版領解文の内容検討ではなく、それを制定するための方法を審議するという何とも不思議な会議でした。当然委員の先生がたは熱心に審議されたことでしょう。その結果、先にも書きましたように「領解文という用語を使用しない事を条件として門主に制定いただく」という方向性の答申がなされたのです。おそらく勧学和上方は、その「ご消息発布の申達をするための内容を事前に審議する委員会」が早々に開かれるものと予想されていたと思います。それは至極当然の段取りというものです。制定方法が決まったのですから次はその内容について審議するのは。

しかし待てど暮らせど審議の声はかかりません。しかし答申を出した約1ヶ月後の12月の中旬、突然にご門主より消息に関する諮問がおりてきたのです。勧学寮との事前審議もなくです。で、その表題が「新しい「領解文」についての消息」となっていたものですから寮員の勧学寮員方は驚くとともに唖然とされたのです。

一つには答申が生かされていないことにです。領解文という用語が堂々と付いていました。
二つには2021年4月のご親教のままで、真ん中に師徳段4行を付け加えただけのものでしたから、先にも書いたように寮員和上方が驚かれたのです。

◆ここでご門主のお仕事の仕方について理解をしていないと、この度の混乱の顛末と重大さが理解しにくいと思います。

ご門主の宗務の執行について規定しているのが宗法第3章第9条で、そこには「門主は、宗務機関の申達によって宗務を行う」そして「宗務については、申達した宗務機関が、その責任を負う」と定められています。これが『門主無答責の原則』と言うものです。つまり分かりやすく言うと「ご門主の宗務執行の責任は全て総長と総局が負う」という事で、ご門主に責任を及ばせないという我が宗門のシステム。

喩えが適切ではないと思いますが
憲法第3条に「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と規定していますが、これに準じたものであると言えばお分かりになると思います。

ですからご門主がなさる「ご親教」(ご法話)や「消息発布」全ては宗務機関、つまり総長・総局の申達によりなされ、その結果責任は全て総長と総局が負うことになっているのです。という事はご親教にしてもご消息にしても総局が申達(消息案をお示しする)する事ではじめて行うことができる仕組みなのです。ここはきちんと理解しておく必要があるところです。

⑨もしもの話

ご門主のお仕事の仕方について概略ご理解いただけだと思います。再び勧学寮に話を戻します。

ご消息について諮問が来たのですが回答期間は2日間だったそうです。時間がありません。しかも答申した内容が生かされてないどころか、2021年4月15日のご親教「浄土真宗のみ教え」にわずか師徳段4行が追加されたに過ぎないものだったので、あの「何とか委員会」は何だったのかという虚しさを感じての中ですから。しかし諮問受けた以上、慎重に審議しなければなりません。ですが意見がまとまらず時は過ぎていくのです。なぜなら幾つかの問題点があるからです。一つは「領解文」とされている点があったと思われますが、一番問題になったのはおそらく「私の煩悩と仏のさとりは本来ひとつゆえ」の箇所だった事は容易に想像できます。この言葉は受け止め方によっては異安心とも解釈することが可能だからです。

勧学和上は宗門最高位の学階位の方です。その深い学識の持ち主ですすから私どもは足元にも及ばないほどの聖教量で読まれるのです。法義とは違うことを直ちに見破られることは必然なことです。ここのところの寮員会議録は2月の宗会で「領解文問題」に関わる資料として提出を求めたのですが「議事録と同意書はあるが開示できない」との勧学寮部長からの答弁で明らかにする事は出来ませんでした。

「もし」は歴史を見る時は役に立ちませんが、もしあの時宗会に議事録を提出しことの事実を公にして総長の宗務執行に誤りがあった事と勧学寮が同意した落ち度を謝罪し、ご消息の取り下げまではいかなくとも、取り扱いについて慎重になったはずですし、これほどの混乱は起こらなかった事でしょう。また親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要も真にお祝い出来るご法要となったでしょうに誠に残念としか言いようがありません。

⑩怒涛のラストスパート

歴史に「もし」は通用しないことを申しました。しかしもう一度「もし」を問うてみるならば、③と④で触れたように勧学寮が「これは宗意安心とは整合性がつかないゆえ、同意出来ない」と、もし為されていたなら今回の混乱は起きなかったに違いありません。しかし、そうではなく最悪の道を歩むことになってしまったのです。

徳永一道勧学寮頭と言えば、長く本願寺派「聖典翻訳事業」の第一人者であることは誰もが認めるところで、寮頭にご就任になられ11年が経過しています。その寮頭をして

すでにご門主がご親教で公にしておられる内容、これを認めないとなるとご門主の以前のご親教を否定することになる(訂正しなければならないことになる)。それはご門主に傷を付けることになりかねない。

と、その優しさからか判断されたのだと思います。また「勧学寮の一面にはご門主を護らねばならない立場にある」とお考えになられたようです。しかし「新しい『領解文』」は一読するだけでも浄土真宗の教義に反する解釈が可能なもので同意するには無理がありすぎる。これは寮頭お一人ではなく寮員皆さん同じ考えであったようです。おそらく寮員会議は揺れに揺れたはずです。揺れない訳がない。ここで「何とか門主を傷付けず諮問に対して同意せねばならない」と判断されたところに大きな瑕疵(ミス)があったと言わざるを得ません。

ご門主を護るために同意という方向に向かうのですが、いかんせん宗意安心とはかけ離れ過ぎている。それなのに新しい「領解文」を真宗教義でもって会通(えつう)する解説文が書けるなら、それをもって理解してもらうことで「新しい領解文」に同意するということにしてしまったのです。

総局からは早く回答せよの猛烈な催促がある中で、このことについて寮員勧学さま方は審議され、寮員のある和上が「何とか書いてみよう」と申された時点で、諮問に対し「同意」の印を押されたのです。どうも総局というか総長のシナリオには慶讃法要で僧俗全てに唱和させるにはタイムスケジュール的に御正忌報恩講ご満座での発布がタイムリミットとの判断があったのではないかと思われます。ですから相当急がせた形跡が先程書いたようなことに見ることが出来ます。

『新しい「領解文」』と『解説文』はある意味セットです。ですから発布後速やかに解説文を発表しなければなりません。その発表は本願寺新報2月1日号なのです。解説文を仕上げる時間は20日あまりの猶予しか無い。その間は年末年始そして御正忌報恩講と落ち着かない日々、その中で起草から校正が為されていくのです。寮員和上方が修正に修正を重ねられていくのです。それは相当大変な作業であったことは想像に固くないもの。それはそうです無理やり真宗教義に適合させなければいけないのですから。例えていうなら「黒いカラスを白いです」と言い切らなければならない作業ですから。その時、少しばかりでも寮員和上の心に「痛み」があったと思いたいものです。
徳永寮頭和上は齢80を超えてらっしゃるからか、その作業には加わられなかったと漏れ聞いております。身体的にも精神的にも堪えられたのではないかと思います。

そして御正忌報恩講が始まり3日目、2023年1月11日、総局から御正忌報恩講ご満座後に『ご消息発布式』が執り行わられることが宗務所でアナウンスされ、同時に本願寺公式ホームページに告知が出るのです。

浄土真宗本願寺派ホームページ

つづく

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/


いただいた浄財は、「新しい領解文を考える会」の運営費に活用させていただきます。