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どうして生じた?領解文問題 vol.11

松月博宣ノート

門主制についての一考察⑥

今回の混乱はご門主と石上さんの歪な関係性が災いしていると私は考えています。法灯継承式は2014年6月、園城前総長の時でした。その2ヶ月後の7月末に病気で倒れられ、9月初頭に療養に専念する為に辞意を表明され、9月10日に臨時宗会の招集を自らされ評決の結果、総長辞任が認められました。
その臨時宗会で総長候補として本多氏と石上氏の2名が門主より示され(いわゆる「玉手箱」)、次の日の選挙で石上さんが総長に就任することになったのです。

この総長候補の門主複数指名、それを宗会議員の投票で決める制度についてはいろいろな意見がありますが、ここでは置いておきます。ただ言える事は候補複数指名をするのは門主の宗務の一環で、それを受けて宗会議員が候補の中から選挙して選ぶということで、これは門主無答責の原理に沿ったもので、形式上「総長は宗会が決める」となっていますから総長を決めた責任は宗会にあるのです。

ここで何故、光淳ご門主が石上さんを候補の一人として指名されたのか?前にも述べたものですがご門主が新門時代の2008(平成20)年から6年間、東京築地本願寺副住職として滞在しておられます。これは前門さまのご意向であっただろうと思えます。前門さまが引退を表明される前、築地本願寺での大遠忌法要厳修を記念して『浄土真宗のこれから』という当時のご門主と新門さまの対談集が2013年4月27日に築地本願寺から発行されています。

その中で光真ご門主(当時)は、この対談の前年2012年4月から宗本区分体制へ移行したことに触れ「社会の変化に対応しやすい組織にすることが大事な点」で今までのように同じところにご門徒は代々住んでいる時代ではなくなる時代。これからは

親鸞聖人に賛同してくださる方を育て、増やさなければ、存在意義がなくなります。そこて、変化に対処する上で、主要なところである本山と築地本願寺を身軽にし、宗派の組織は、全体を統括し、調整する役割を担うことになりました。ですから、宗派は全国の僧侶・門信徒一人ひとりの希望や願いを集約して運営する事は当然ですが、あわせて時代の変化に相応し、世界の情勢、社会の情勢を的確に捉え、内部で熟することが必要です。今回の改革は、宗門外の知識や経験を取り入れるよう考慮されました。ただ1年ぐらいでそう簡単には変わりません。すぐに目に見えることは少ないですが、“ 宗門関係者の考え方を変えていく大きなきっかけ” になってくれればと思います。改革の精神とか思想に大事な意味があるのです。

長々と引用しましたが、前門さまの宗本区分を“ 強く願われた意味”  がよくわかる言葉です。それを受けて当時新門であられた光淳さまは

確かに、これまでの宗門は本山と宗派が一体でしたから、教化でも既に包括関係のあるお寺、既にご門徒である方々が対象であったわけです。まだご門徒でない方に対する取り組み、はたらきかけがほとんどなされてこなかったのではないかと思います。そうした活動がやりやすくなればよいと考えます。京都にいると分かりにくいのですが、築地本願寺から見ておりますと、、、

以降、本願寺派の内向きな部分・姿勢を指摘されています。この対談は法灯継承が発表される前年、総長は橘氏、築地本願寺宗務長は不二川氏の時代のものです。この対談が行われ、たしかこの年の「春の法要」(立教開宗法要)で退位を表明され次の年の6月法灯継承式の流れでした。

その3月、築地本願寺での法話会(政財界の大谷家応援団・拓心会)で当時のご門主とご一緒する機会がありました。「ご引退後、京都から東京に移られるのですか?」の質問に「そういう噂がある事は存じておりますが、私は二重生活は好みません。今まで通り京都におります」ときっぱりと否定されたことが印象的でした。おそらく新門主の後ろ盾として居ようとの意思表明であったと拝察するものです。この対談のご発言で光淳ご門主は既にこの時点で「首都圏開教が本願寺派にとって大きな課題」と位置付けされていることが読み取れます。

門主制についての一考察⑦

新門時代、築地本願寺副住職として「変化の激しい首都圏開教が本願寺派にとって大きな課題」と位置付けされていたと先に述べました。これは「浄土真宗とご縁のない方へ教線拡大をしなければ本願寺派の未来はない」と考えておられるということです。大学時代4年間を東京で過ごし、その後8年間京都での生活後、再び副住職として東京に。ご本人も対談で語られていますが、東京都市圏一局集中の凄まじさを目の当たりにすることで身に沁みられた事は想像に難くありません。

宗本区分して制度的に動きやすい体制に整えてもらった上での法灯継承。その数ヶ月後、突如園城総長の病気による辞任。新門主にとっては、まだ先と考えていた「総長候補推薦指名権行使」。おそらく戸惑いがあったであろうと思います。それは9月10日の総長辞任承認のための臨時宗会開会直前まで、ここで具体的には書けませんが「総長が急遽変わることへの不安」があった形跡があります。

園城総長の「辞意が固い」と聞いたご門主が直ぐにしなければならないのが「総長候補複数人指名」。まだご門主を支える個人的ブレーンも形成されてない時、病気辞任という突然の辞任であることから「総長とのお会い」もアドバイスもない、誰とも相談もできない中にあって、ご自分の知り得る人物の中で思い付く人を迷いながらも「自分が課題とすることを実現してくれる人物」を模索された上で本多・石上両氏の候補推薦とされたのでしょう。

本多氏は大阪教区出身で、その経歴は毎日放送勤務経験がありマスコミや吉本興業などエンターテイメント関係に広い人脈があり、本願寺には目新しい発想のできる人材。(蓮如上人500回遠忌法要のキャッチフレーズ「イノベーター上人がやって来た」は本多氏の発想であった記憶あり)
私が関わっていた「ご縁づくり」会議の席上「石橋は叩いて壊れても渡れ」という吉本興業社長さんの言葉を紹介しながら担当総務として、「今やるべきこと、やらねばならないことを進めて言って欲しい」と語ってくださったことが今、懐かしく思い出します。

一方、石上氏は離婚はされたにせよお父上の姉とご結婚されていた方。東京神谷の光明寺さま出身で千葉県君津市に君津光明寺を新寺建立され都市開教経験者。加えて大学時代そして築地本願寺副住職時代には公私ともども甥と叔父の関係性もありお世話になった方。それだけではなく政財界に人脈が広く東京都市圏開教にとって適した人材と見られていたのでしょう。

総長という役職は大教団である本願寺派の舵取りを担う重責だと思います。総長の考え方ひとつで方向は決まるのですから、総局員と協議しながらとは言え最終決断は総長ですから、おそらく「孤独」でしょう。ましてや門主の信任を受けた身ですから期待を裏切る訳にはいきません。その緊張関係があるからこそ宗務執行が円滑に出来るのだと思うのです。

もし門主と総長の関係性に緊張関係がなかったなら、実務は総長が担うのですから宗務執行に歪さが出てしまう恐れがあると思います。今回はそれがはからずも出てしまったことによる混乱と見ます。

門主制についての一考察⑧

2014年9月11日臨時宗会2日目(前夜から当日未明にかけて各会派間でその後の人事も含めた深謀遠慮の駆け引きと取り引きがあった上)で総長に選出された石上氏はその日の夕刻、既に前任の総長となった園城氏の入院先である京都府立医科大学病院に総長就任挨拶と入院後初めての見舞いを兼ね訪ねています。

宗務所大会議室で総長選挙があっている時刻に私は総長辞任を受け「ご縁づくり推進会議委員長」の役職を辞することについて相談をしに病室を訪ねていました。何故なら園城総長から指名され就いてる役職ですからその方が辞任となれば私も辞するのは当然のことですから。その話をしている最中に宗務所のある部長から私の携帯電話に総長選挙開票結果を知らせが入ってきたのです。その結果を受け「石上新総長の出方を見て判断すればいいから、ちょっと待て」と園城氏から言われ病院を後にしました。

そしてその夕刻「はからずも総長就任になった事と、園城総局が進めている宗務の基本方針をこれからも継承ししっかりと取り組む旨」を伝えたと連絡を受け役職を続けることになったのです。(もっとも、そう時が立たないうちに反故にはしましたが)

次の日宗務所2階研修室に設置された記者会見場に向かって廊下を意気揚々と歩く姿を見ています。その心中は「やっと自分の想いを実現する時が来た」だっただろうと、これは私の推測に過ぎませんが。

石上氏はそれまでにも時代を読んでの上からでしょう、ライト感覚な生き方啓発のような数冊の著書を上梓されていました。ご自身の現代人に通じる表現力と文章力に相当な自信を持っておられる事は確かです。それは言葉の端々に滲み出ていました。石上氏は何に付けてもご自分で目を通さないと気が済まず、慎重且つ用意周到に事を運ぶ執務をなさいます。

こんな事がありました。「ご縁づくり」推進室から「食事のことば」についてのリーフレットを発行するために推進委員が知恵を絞り推敲しながら書き上げた原稿がありました。私も目を通したものですが、子どもたちに「いのちをいただく」の意味を通し「生きるためには殺さなければならない悲しみと、その生命をいただきながら生きていくことの意味」がきちんと伝わるいい文章でした。それの発行決裁を総長に貰いに行った職員さんに「これはダメ」の一言。どこが悪いからという説明は一切はないのです。

リーダーの必須条件の一つは方向性をしっかりと伝え、あとは「現場に任せる」というものがあると思います。現場がすることの方向性が違うと思った時には「これは少し違うよ、ここはこんな風にしたらどうかな?もう一度考えてみて」となったなら現場を預かる人間は仕事に対する意欲が湧くものと思います。これはダメだけで指示もせず権力で押さえつけるだけなのは「ただのボス」です。それも相当タチの悪い。

それはともかく、その時石上氏からよく聞く言葉が職員に向けて語られました。「あのね、頼んだわけではないのだけど僕の本の一部をね、子どもたちが読む教科書に使わせてくれと出版社から頼まれたんだよ」と。これは暗に「このリーフレットに私の文章を使いなさい」と言ってる事なのです。その時の職員(主事)は腹の据わった人物で「あら〜そうなんですか」と一言だけ申して帰ってきましたが。それからそのリーフレット発行は1年以上棚上げにされてしまいました。

ここではっきりと申しておきます「道徳の教科書に採用されるような文章は毒にも薬にもならず、世間の理屈に沿うものでしかない。宗教は世間的価値観に対し「?」を示し、それをひっくり返す所に存在の意味がある」のです。(ある時、これを直接総長に言ったのですが相当怒られた様子でした。本当の事を言っただけなのに)

私が関わっている部門だけでも総長とのやり取りに数々のエピソードがあります。宗務所職員たちの間で「行列のできる総長室」と自虐ネタが言われるほど決裁を中々しない、そして決裁印を押す時は常套句「これの責任は誰がとるのかね」が発せられているのです。職員の士気が下がるのは尤もなことだと見ていました。しかも人事権を持った人物に直接モノが言えないことを盾にしているのですから。総長に楯突いた部長級職員が地方に異動になった例を沢山目にしています。

なぜ門主制を考えると言いながら、石上氏の執務のあり様を論(あげつら)うかと言うと「これが石上総長のやり方」だと知ってもらうことと、ご門主と総長との歪な関係性とを合わせて見ることで、今回の一連の混乱が何故起こってしまったかが明らかになると思うからです。

以上のことを合わせて考えるにコロナ禍にある時、本願寺新報が掲示伝道ポスターを二面ぶち抜きで掲載しました。その時の「ことば」に石上氏の本の一節が使われたのは「総長への忖度か、総長自身の指示があった」と見るのが理路として通ります。特に「愚身」を「み」と、ふりがなを付けて読ませているのはご自身の著書『生きて死ぬ力』においてです。それが宗派のポスターに使用され、挙句「愚身」を「み」と読ますのは「ご親教「浄土真宗のみ教え」。そして当然ながら「新しい領解文についての消息」にもあります。これだけでも「ご親教」や「ご消息」への総長の直接関与があったことは傍証ではなく、「総長が書いたモノである」ことは証明する事ができるのです。

何故なら「愚身」を「み」と読ます例は宗祖の上にも聖教の上にも何処にも探し出すことは出来ず、石上氏独自独特なものですから。総長がもし「私は一切関与していない」とこのまま言い続けるなら、ご門主が「聖教にない言葉を総長の著書から引用された事」になり、逆にご門主の見識が問われ、ご門主を傷付けることになってしまいます。今はそのような状況になってしまっているのです。

門主制についての一考察⑨

一人の極めて個人的な領解(正否は別として)を宗門の領解であると塗り替えてしまう行為を石上氏はしてしまいました。今日(2023年5月19日)熊本県人吉市の人吉別院の降誕会に招かれて来ています。お晨朝の前に段取りを示してくれる職員さんが「最後に“今までの領解文“で締めくくります」と言われるので「今までのではないよ。領解文と言えば一つしかないからね」と言うと「そうですね、領解文が2つあるとおかしなことになりますよね」と。現場ではこんな混乱が生んでいることを総長やご門主はご存知なのか?甚だ疑問です。

光淳ご門主が2014(平成6)年6月6日、法統継承式にあたって発布された消息があります。ちなみにこの時点の総長は園城氏でした。

釈尊の説き明かされた阿弥陀如来のご本願の救いは、七高僧の教えを承けた宗祖親鸞聖人によって、浄土真宗というご法義として明かされ、その後、歴代の宗主方を中心として、多くの方々に支えられ、現代まで伝えられてきました。その流れを受け継いで今ここに法統を継承し、未来に向けてご法義が伝えられていきますよう、力を尽くしたいと思います。

新しい「領解文」の中の師徳段の「法灯を伝承された歴代宗主の尊いお導きによるものです」とは明らかに論調が違います。8年と言う時間はご門主の考え方をこうも簡単に変えるものなのでしょうか?確かに心は移ろいゆくものです。変わることを否定はしません。しかし、ここの所はご門主としての基軸となるべき事柄です。大切な事の基軸が変わってしまわれたことを私は容認できません。ここに他者からの何かしらの作用がはたらいたとしか考えられないのです。

ご消息の3節目には

宗門の現況を考えます時、各寺院にご縁のある方々への伝道はもちろんのこと、寺院にご縁のない方々に対して、いかにはたらきかけていくのかを考えることも重要です。

と新門時代に持たれた課題がここに述べられ、続いて

本願念仏のご法義は、時代や社会が変化しても変わることはありませんが、ご法義の伝え方は、その変化につれて変わっていかねばならないでしょう。現代という時代において、どのようにしてご法義を伝えていくのか、宗門の英知を結集する必要があります

ここでご門主は「不易流行」と言うことを語っておられるのです。「変えてはならない事」と「変えていくべき事」を明確にお示しになっておられるのです。「変えてはならない事は、ご法義」です、「変えていくべき事は、伝え方」です。この時点ではご門主のご見解は私共と同じ方向と思えるのです。

この事は私たちがお預かりしているお寺の教化活動の方向性の指針を語ってくださったもの。またご門主が法統を継承される前に、園城総長に対して「仏教青年会が壊滅的である状況を考えるに、これからは若い方へのアプローチが大切と思っています」と語られたことを受けて、総局の特別部門として立ち上げたのが「子ども・若者ご縁づくり推進室」でしたから、このご消息を拝聴しながら「このご門主の意向を一層具体的に展開せねば」の思いが沸き起こった記憶があります。

そうして「変えていくべき事は、伝え方」路線で進んでいると思っていた矢先に、石上氏が総長になってしまい、ご親教「念仏者の生き方」。伝灯奉告法要法要初日に御影堂で拝聴した時何かしらの「違和感」を覚え、ご親教「私たちのちかい」で、生きづらさを抱えている方と共に歩んでいこうと推進室に思春期支援部門を設け取り組んでいる事に冷や水を掛けられた思いがして、ご親教「浄土真宗のみ教え」に至っては「変えてはならない事、ご法義」まで変えてしまわれたと大きな不信感。

しかし、これはご門主の真意であるのか?それとも、、、、。の思いが交錯する中で「新しい「領解文」についての消息」発布にまつわる不透明さと内容への疑問は、ひょっとすると石上氏の多大なる関与があるにしても、ご門主は「現代人に伝えるには」との、ある程度確信犯ではなかろうか?の思いも出てきています。しかしながら、ご門主が学んでこられた宗学の延長に、果たして宗祖が警戒され克服された本覚法門的思考が出てくる可能性があるのか?これでは宗祖が降りられた「山」に再び戻らなくてはならないことになります。

宗祖のご本典化身土巻ご自釈「三願転入」のあと

まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機にそむけるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅・濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや

註釈版413頁

を全て反故にしてしまう程の内容に唖然としてしまったのは私だけではなく多くの方の印象だと思うのです。ただご門主の「私としては、各種委員会において策定・議決がされたものでありますので、総局の責任において推進される事業であり、関与の仕方が難しいと思っております」のご述懐の意味するものは何であろうかと考え込んでいます。

門主制についての一考察⑩

門主に変質が起こったのか?
「変えてはならない事は、ご法義」「変えていくべきは事は、伝え方」と法統継承式に際してのご消息で高らかに語られ、新しい風吹く中に若き門主のもと一層ご法義宣布に勤しもうと思ったのも束の間、変則的に起こった総長交代劇により風の向きはすっかり変わってしまったと感じています。

前総局の宗務の基本方針1丁目1番地はご門主の意を受けた「若者を含めたご縁の少ない方へのご縁づくり」。ですから法統継承式を機にスタートさせるべく総局に「子ども・若者ご縁づくり推進室」を設置し「ご縁づくりの基本方針」の策定を急がされました。基本方針策定作業に関わった者として総局の熱量をひしひしと肌に感じていました。

ご法義は宗祖より連綿と伝えられた浄土真宗です。それをどのようにご縁の薄い方々にお伝えできるのかが課題でした。事務方のトップであり司令塔である当時の中尾公室長(現・築地本願寺宗務長)も好意的に種々後押しをしてくれていました。

しかし総長が変わっての宗務の基本方針の1丁目1番地をあえて言うならば、総長の意そのものを門主を利用して

現代人に伝わるように少々法義に適合していなくても世間に受け入れられやすいものに変えていくのが、本願寺派の生き残る道。そのためのご親教でありご消息であるから、新しい「領解文」の拝読と唱和推進とする

この度のご消息をご門主自らの名で出されている以上、ご門主との合意がなければいくら総長であってもここまで強引に事を進める事はできません。とするならばご門主も前言「変えてはならない事、ご法義」を翻されたと見るべきでしょう。

そうなってしまった原因は「門主と総長の関係性」に尽きると考えられます。昨日の総長見解を読むにつけてもいっときも早く2人を切り離す必要を感じております。このままあの消息が生き続けるならば、浄土真宗ではなくなり法蔵菩薩のご苦労も、宗祖親鸞聖人のご苦労も、次第相承の善知識方のご苦労も、まったく無意味となってしまいます。

門主制はご法義を守るシステムであることを私たちが再確認して、その門主制を悪用した結果がこれほどの混乱ですから、いっときも早く石上氏に我が教団から辞してもらうことが必須と考えています。このように考えてみると門主の「総長候補者複数指名」の制度の在り方は検討すべき事項として俎上に上げる必要があると考えています。この度は総長になってはならない方がなった結果の混乱でした。総長候補として複数人指名とは言え石上氏を候補者として挙げた門主には、その責任が全く無いとは言えません。

今回の混乱の原因となる要素を排除するのと、責任が門主に及ぶことなく、尚且つ門主の宗務権限を剥奪することのない方法として、門主の諮問機関として「総長候補者推薦委員会」設置をする事が適切かとおもいます。
その委員会は「前門さまに加え総長経験者・議長経験者・勧学寮頭経験者や有識者数名で構成され、総長に相応しい教学的見識と宗務運営能力を見極めたうえで選んだ数名を、門主の諮問に答申する。そしてその中から門主が複数の候補者を選び宗会に提示、その内の1人を宗会議員の選挙によって選出する」というものであれば門主との緊張感を保った関係性の中で宗務運営が期待されると思うのです。

いずれにしても門主制は宗意安心の伝統を守るシステムとして存続させる必要はあると考えます。それに加えて勧学寮の位置付けを総局の下部から同等もしくは高位におくべきではないかと思うのです。

つづく

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/



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