御消息「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」発布についての疑義
下川弘暎(宗会議員)
今年は浄土真宗立教開宗800年の御正当にあたります。昨年厳修された立教開宗800年法要における「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の唱和は、立教開宗の法要を変質させた御開山様に申し訳のない許されざることでした。宗政に関わる一人として、その責任の重大さを思い、宗門正常化に向けた取り組みを急ぎ、もって師主知識のご恩に報いなければならないと思います。そのような思いから「新しい領解文」問題の経緯をたどり問題点を連続投稿し宗門正常化の一助になればと願うものです。
問題点①はじまり
現代版領解文は、故・不二川総長の提唱に始まります。それは「宗門長期振興計画」で、現代版領解文の制定として計画され、宗則にもとづく「教学・伝道の振興にかかる企画委員会(略称・企画制定委員会)」で協議検討が進められ「浄土真宗の救いのよろこび」という名称で完成いたします。
企画制定委員会は内藤智康勧学、深川宣暢勧学、また国語学などの専門分野の方々をメンバーとして構成された委員会です。十数回の委員会を重ね原案が完成しモニター調査などを経たのち、平成21(2009)年7月15日付けで刊行された「拝読・浄土真宗のみ教え」に「浄土真宗の救いのよろこび」として収録されています。「現代版領解文」という名前こそ使われていませんが、それは、現・領解文と混同されるのを避けるという編集方針にもとづくためで、その内容は領解文の伝統と精神を受け継ぐものとされています。その編集に当たっては逐次、御門主様にも報告されたこと、また刊行後は普及に努めるべきことが宗門長期振興計画総括書には記載されています。
即ち「浄土真宗の救いのよろこび」の編集をもって現代版領解文の制定は終了しています。その経緯は「拝読・浄土真宗のみ教え」の8ぺージから11ぺージに書かれています。また、宗門長期振興計画の総括書149ぺージから152ページにも明らかです。
宗門長期振興計画を引き継いだ、宗門総合振興計画では、その大綱策定委員会(平成26年3月18日 第9回常務委員会にて設置規定議決)で、再度、現代版領解文の制定が計画されます。なぜ、どう言う理由で再度計画されたのでしょうか、大きな疑問点です。
宗門総合振興計画が実動するのは、第309回臨時宗会(平成27年5月)の議決を受け、その6月からです。その後、平成28年3月に宗門長期振興計画の総括書(完結版)が提出されます。それには先に述べたごとく、現代版領解文の制定は「浄土真宗の救いの喜び」として完了していることが述べられ、そしてなお一層普及、及び活動に注力すべきことが述べられています。このことを受けて、この時すでに実動していた宗門総合振興計画の中の現代版領解文の制定という計画を修正すべきだったのです。またそれは、後に、石上総長(当時)が「現代版領解制定方法委員会設置」の法規案の提案理由(令和4年3月 常務委員会)で「遅々として進まずお叱りを受けている」と言われるほどに作業が進んでいなかったのですから、計画の修正は十分に可能なことであったはずです。しかし修正されることはありませんでした。
このことは、この度の「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」問題の発端として重要な疑問点です。ちなみに、宗門総合振興計画は、石上元総長になって策定された計画です。
問題点②「浄土真宗のみ教え」改定編集委員会の事
「拝読・浄土真宗のみ教え」は10年経過し、また御門主の御親教も収録する必要があると言うことで「拝読・浄土真宗のみ教え 改定編集委員会」が設置されます。平成30年〈2018〉6月29日付け 宗門総合振興計画発足3年後のことです。
「拝読・浄土真宗のみ教え」は、宗門長期振興計画で「現代版領解文・現代版御文章の制定」と言うことで計画され、その成果として出版されたものです。それに、新たに御門主の御親教を収録必要がありましょうか。まず疑問に思うことです。
この「拝読・浄土真宗のみ教え 改定編集委員会」は、宗則で設置が定められた委員会ではありません。総局に設置された委員会です。委員は、内藤智康勧学、丘山願海研究所長(当時)、満井秀城師等5名で構成されています。2回の委員会が開催された後報告書が提出されます。その報告には4点の意見が述べられていますが、委員総意の意見は、その第一に述べられる「改訂に当たっては『浄土真宗の救いの喜び』は、その題名も内容も加筆訂正しない」ことが記されています。そして最後に「なおこの委員会としては、これを一応の報告とし、今後は総局に文言を含め検討されるよう一任する」とされています。委員会の報告としては、投げやり的、かつ責任放棄的です。総局としては誠に好都合な報告です。
その報告を受けた総局では「総合的に検討した結果、旧版『拝読・浄土真宗のみ教え』の編集方針を継承しつつ、改訂に際しては典拠が明確であり、しかも現代人に分かりやすいことを原則として改訂編集する」という編集方針を定め「拝読・浄土真宗のみ教え」から「浄土真宗の救いの喜び」が削除されます。令和元年〈2,019〉9月 宗門総合振興計画発足4年後のことです。
宗門長期振興計画で現代版領解文の制定として取り組まれ、領解文のよき伝統とその精神を受け継ぐものとして編集され、しかも好評を博していた「現代版領解文」の否定です。また、改定編集委員会の報告に「浄土真宗の救いの喜びは、その題名も内容も加筆訂正しないこと」が記されていますから、その委員会報告の無視です。
削除の理由が理不尽です。
「浄土真宗の救いの喜び」の削除の「典拠が不明確」と言う理由はその編集方針から考えると全く取って付けたような理由です。また「分かりやすい表現」と言う理由も当てはまりません。
「浄土真宗の救いの喜び」を削除した本当の理由は、何なのでしょう。大いに疑問に思うことです。
問題点③制定方法委員会
「拝読・浄土真宗のみ教え」改訂版の刊行は、令和元年(2019)9月です。そして令和3〔2021〕年4月15日、春の法要にあたり、御門主は御親教で「浄土真宗のみ教え」をお述べになります。本願寺新報号外が出され、総長(石上氏)は直ちに宗務に移され「浄土真宗のみ教え」を唱和する運動を宗門あげて展開するよう進められます。職員朝礼は勿論のこと、一般寺院にも張り出し用に大きくプリントした「浄土真宗のみ教え」が送られてきました。(この宗務は、基本的なことを定めた法規に抵触します。別に述べます。)
さて、令和4〔2022〕年3月25日、第43回常務委員会に、法規議案「現代版領解文制定方法委員会設置規定案」が提案され、反対1票で可決されます。「浄土真宗の救いの喜び」が「拝読・浄土真宗のみ教え」から削除されて2年半後のことです。その提案理由で総長は、「宗門長期振興計画の現代版領解文制定は、宗門総合振興計画に移行されたと申され、そして遅々として進まずにいるのでお叱りを受けている。それは、現代版領解文は誰がどのように制定するかが最大の問題であったからだ。従って、現代版領解文制定方法委員会が必要である」と述べられます。
「遅々として進まずにいるのでお叱りを受けている」と総長は言われたが、総長を叱るほどの勇気のある方がおらたのでしょうか。遅々として進まずにいるのは、「拝読・浄土真宗のみ教え」に「浄土真宗の救いの喜び」があるかぎり進めなかったのでしょう。
さて、その宗則の成立を受け、令和4〔2022〕年8月に「現代版領解文制定方法委員会」が徳永勧学寮頭(当時)を委員長に、浅田、太田、北塔、満井の5人の勧学と龍谷大学学長入沢氏の6名で組織されます。制定方法を検討するのに勧学中心の委員会構成の必要があったのでしょうか、怪訝に思います。
その委員会では9月から11月にかけて5回の委員会が開かれ答申が出されます。その答申の意見の第1に「現代版領解文という表現は、従来の領解文との混乱を招く表現であるから用いないこと」ほか4件の意見を付し、最後に「念仏者として領解すべきことを正しく分かりやすい文言を用い、口に出し唱和することで他者に浄土真宗の肝要が伝わるものを制定するのであれば門主に制定していただくほかはない」と答申されています。
誰がどのように制定するか、それこそ勧学寮員以外の勧学を主たるメンバーにした起草委員会を組織し、原案を作成し、勧学寮の諮問を受け、ご門主の名前で発布すべきことです。制定方法委員会を組織し検討するようなことではないと思います。
その答申を受けると、その後の「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」制定への宗務は、実に迅速です。
宗会議員に配布された総局見解文書(令和5〔2023〕9月21日付)によると、令和4〔2022〕年11月末に制定方法委員会答申、12月5日に御門主に消息発布の依頼、12日には内事部より消息文案が提示されています。わずか1週間で消息文案の提示です。しかもその文案は、御親教「浄土真宗のみ教え」に師徳についての4行を書き加えたものです。「浄土真宗のみ教え」は、御親教ですから勧学寮に諮問されたものではありません。そしてすでに唱和が進められていたものです。さらに総長(石上氏)著書の引用が問題視されている文章です。
制定方法員会の答申をどれほど配慮されたのでしょうか、疑問に思います。ただ、答申に書き込まれている「門主に制定していただくほかはない」の一言が重く採用されているようです。
宗意安心に関わる重要な御文がどのような手続きで作成されたのか、明らかにされねばなりません。
これらは、この度の「新しい領解文」問題の極めて重要な、明らかにしなければならない疑問点です。
問題点④御親教をご消息に
御消息「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」は、すでに拝読唱和が勧められていた御親教「浄土真宗のみ教え」(令和3年4月15日)に師徳を述べた文言4行を加えたものです。
御親教「浄土真宗のみ教え」は、口演を文章化されたものであるため、勧学寮の諮問という手続きは執られていません。また、口演(親教)を文章化する上での規定はありません。
口演(親教)を文章化する場合の規定は必要でないかの質問に、総長は「御門主の教化に関することであるから総局が介入できることでも介入すべきことでもない」とし、総局は口演(御親教)の内容について関知しない(第314回定期宗会)と答弁されています。
「浄土真宗のみ教え」の御親教(口演)をいただいた形は、御門主が文章にされた御親教を読み上げられた形です。御消息の発布と同じ形です。そして、御親教(口演)と同時に本願寺新報号外(以下「号外」)が出されています。
号外が出されるについては、遅くとも3日前には原稿(口演内容)が号外編集者に届けられていなければなりません。当然のこととして前もって内容は知りうることです。また、御親教(口演内容)を号外で出すには、号外で出すか否か、局議決定がなされなければならないはずです。本願寺新報の編集長の判断で出されるようなことではありません。総長は局議にかけられたはずです。局議の記録はどうなっているのでしょうか?
総長著書『生きて死ぬ力』の文言と全く同じ文言が数カ所、また同じ意味と思われる文言がある御親教(口演)を、局議にもかけず総長権限で編集長に命じて号外として出されたのであれば、それは由々しき問題です。総長は本当に、御親教(口演)の内容について関知されていなかったのでしょうか。
それとも編集長が忖度して、編集長判断で文章化して号外を出したのでしょうか、それは重大な越権行為です。それはまた、任命権者としての総長の責任も免れることではありません。
事実を明らかにしなければなりません。
御親教(口演)が、御親教(口演)と同時に文章として出されるならば、御消息発布に準じた手続きが絶対に必要です。それが、法灯を伝承される御門主様の地位を支えることになるからです。
問題点⑤御親教は常務委員会を通さずに推奨していた
御親教「浄土真宗のみ教え」は令和3年(2021)4月15日、春の法要に当たってお述べになったものです。そして、御親教(口演)と同時に本願寺新報号外が出されています。総長は、その御親教の文章化に関し「御門主の教化に関することであるから総局が介入できることでも介入すべき事でもない」と答弁され、御親教の内容に関知しないと言われますが、この事実は、総長が本当に関知しないところで新報号外が出されたのでしょうか疑問です。そして、御親教を文章化するについては、御消息に準じた手続きが絶対に必要であることを前回述べました。
さて、令和3年(2021)年4月15日、春の法要に当たってお述べになった御親教「浄土真宗のみ教え」を総長は直ちに経常宗務に取り上げ、宗務機関は勿論、一般寺院でも唱和を奨めるよう、大きなポスター状の掲示物として配布されました。ご存じのことと思います。
この宗務は宗務執行に関する法規(宗法42条、同44条1項、同53条2項)に違反します。『宗法』の規定では、年度の宗務の基本方針は、2月の定期宗会で議決し、その具体策は3月末(定期宗会後)に開かれる常務委員会で議決されねば実動に移すことは出来ません。これは法規の定めです。御親教「浄土真宗のみ教え」は4月15日、春の法要に際しお述べになったことですから、すでに年度の宗務の具体策が議決された後です。従って「浄土真宗のみ教え」の唱和運動を展開するには、緊急に常務委員会を開き、年度の宗務の具体策に、新たに1項を加え、議決した上で宗務に乗せねばならないことです。
常務委員会に掛けられていません。従って議決もされていません。これは法規無視です。
さらに重大な法規違反は、総長は「御消息や御親教を賜ったならば、経常宗務において周知や普及に努めることが自明の理である」と答弁されています。御消息と御親教を混同されているようです。御消息はその手続きについて定めがありますから、所定の手続きを経て経常宗務に乗せることは総長の仰せの通りです。ところが御親教は御門主の御法話です。その文章化の規定も無いのに、その仰せをそのまま宗務に乗せることを自明の理にすることは出来ません。なぜなら、第1には、案学寮に諮問されていません。また「浄土真宗のみ教え」の御親教では「様々な機会に唱和していただきたい」という具体的な宗教行為を御門主が指示されているからです。
御門主の宗務については、宗法9条に「門主は、宗務機関の申達によって宗務を行う」そしてその2項に「前項の宗務については、申達した宗務機関がその責任を負う」とされています。この規定は、門主「無答責」の大原則です。「門主の責任にしない」という大原則です。この規定が定められている事については、長い宗門の経験によるからです。
しかし総長は「御親教の内容については関知しない」と言い、また「御親教を賜ったならば、経常宗務において周知や普及に努めることが自明の理である」と言われますから、御門主は宗務機関の申達なくして宗教行為を指示されたことになり、門主の責任が問われることになります。これは重大な法規違反です。宗門の大原則を破ることになります。
また、御親教の文言には、多くの方の指摘があるとおり、総長著書の文言が散見されます。御親教の文言は御消息の文言になっています。これは「総長の考えを、門主に述べていただいている」と言われても仕方のないことです。そのようになることは、宗門人として厳に慎むべきことではないでしょうか。また、総長は「自見の覚語をもって他力の宗旨を乱す」大それた事になっていませんか。
これは、この度の御消息に関する重大な疑問点です。
問題点⑥発布に至る疑問
現代版領解文制定方法委員会の答申が出ると(令和4年(2022)11月末)御消息「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」発布までの宗務は、極めて迅速です。
12月5日(月)には、総局会議を経て御門主に御消息発布の依頼がされます。12月12日(月)には、内事部(国における宮内庁のような部署)より御消息文案が総局に提示され、その日のうちに同文案は勧学寮に回付されます。わずか一週間で御消息文案の提示です。宗意安心にかかわる重要な御文を決めるのになぜこのように性急に進める必要があったのか疑問に思います。しかもその文案は「浄土真宗のみ教え」として唱和運動が進められているものに、師徳についての4行を加筆したものです。「浄土真宗のみ教え」は御親教で述べられたものを文章化したものですから、勧学寮の諮問を受けたものではありません。即ち「浄土真宗のみ教え」として既に唱和運動が進められ既成事実になっていることを、勧学寮に追認を求めるようなことです。これは、宗門の宗意安心の正当を守る上から、絶対に有ってはならないことです。
御門主は宗務機関の申達によって宗務を行う(宗法9条1項)と定められていますから、自ら筆を執られたとは考えられません。内事部ではどのような手続きで文案が作成されたのでしょうか。内事部長の一存で進められるようなことではありません。総局の関与はなかったのでしょうか。『宗門総合振興計画第2期点検総括及び第3期計画概要書』の文書〔※)には「現代版領解文の制定については、2021年4月の立教開宗法要における御親教「浄土真宗のみ教え」のお示しにより、実質的になされたという認識である」との記載もあります。大きな問題です。内事部長に(現在は既に異動)事実を明らかにしていただかねばなりません。
この件は、この度の御消息「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」問題の疑義で明らかにしなければならない大きな疑問点の一つです。
常識的に考えれば、宗門の宗意安心にかかわる重要な御文を決めることですから、(仮称)「現代版領解文起草委員会」を設置し宗門の叡智を集め協議検討して草案を作成し、勧学寮の諮問を受けたのち、門主名で発布すべき事であると、私は考えます。
問題点⑦勧学寮
令和4年(2022)12月12日(月)、内事部より提示された御消息文案は、その日のうちに勧学寮に回付されます。勧学寮ではその提示を受け、寮員会議が開かれ、御消息文案について検討され、3点の問題点を指摘し、14日(水)に勧学寮部長より総局に回付されます。それを受けた総局では、15日(木)、統合企画室長(総局を内閣に例えると、内閣官房長官のような役職 以下、室長)が、勧学寮に出向き勧学寮頭と面談されます。(総局見解文書によると、勧学寮部長は同席せず、寮頭と室長の2者の面談です)室長は、勧学寮指摘の問題点3点について「御門主に説明しなければならないから」と言うことで問題点についての説明を求めます。
勧学寮指摘の問題点3点は、「①無帰命安心の異安心に陥る恐れ ②機の深信に反する恐れ ③自力作善の奨励になる恐れ」と聞きます。
それに対し寮頭は「2点目、3点目は問題ない、1点目については誤解が生じないよう勧学寮が解説文を作成する」と見解を示されたと記されています。寮頭と室長との間でどのような応答があったのか、今回の領解文問題を左右する重要な会談であると考えますが、応答について明らかにされねばなりません。録音があると言われますから、公にしていただかねばなりません。
さて問題は、寮員会議で合意された問題点3点が、寮頭は寮員会議に諮ることなく「2点目、3点目は問題ない、1点目については誤解が生じないよう勧学寮が解説文を作成する」と見解を示されたことです。これは寮員会議の合意を破る重大な職務違反です。宗意安心の問題指摘でありますから、御門主の宗意安心の正当を裁断する(宗法8条)という役目を担保する部署(宗法56条)のトップ、寮頭のこの判断は、極めて重大な違法宗務です。
寮頭は室長に「寮員合意の宗意安心にかかわる重大なことであるから、御門主には直接、私から説明する」と、その職責をかけて応ずべき事です。
また翌日、寮員勧学は、寮頭の室長への見解を寮員会議に報告されたとき、その報告をどのように受け入れ、了承されたのか、宗門最枢要の職責に対する気概があまりになさ過ぎると思います。
後日寮頭は、責任を取られたのかどうか曖昧な理由で、寮頭を辞職されました。寮頭辞職で済むことでなく勧学職を返上すべきほどのことではないでしょうか。また寮頭の見解を追認された寮員勧学も、その職責に照らし、寮員を辞職すべき事と思います。
この度の「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」にかかわる混乱の原点は、室長に示した寮頭の見解と、それを追認した寮員勧学の職務姿勢にあります。もはや、勧学寮はその機能を果たしているとは思えません。
御開山様に、どう申し訳をするのですか・・・?
遺弟の念力も何処へやら、蓮如さまに叱られますぞ!
問題点⑧寮員会議
令和4年(2022)12月15日 統合企画室長(以下、室長)は、勧学寮頭と面談し、勧学寮が指摘していた問題点3点について「2点目、3点目は問題ない、1点目については誤解が生じないよう勧学寮が解説文を作成する」との寮頭の見解を聞くと、翌16日、室長は、御門主に寮頭との面談内容を報告します。この室長の宗務行為は、総局見解文書によると、勧学寮々員会議の結果が室長に報告されるのは、同日夕刻と記されていますから、寮員全員が、御消息文案に同意する前に門主に報告したことになります。(宗法59条2項 門主の諮問で宗意安心に関することは、寮員全員の意見が一致しなければならない。) 即ち、室長は、勧学寮で同意される前のことを門主に伝えたのです。これは総局見解文書が示す極めて重要な宗務の事実です。
これは、門主を欺く宗務になるのではないでしょうか。
さてこの室長の宗務行為は、総長の指示を仰がない室長独断の宗務行為であったのでしょうか、もしそうであるならば、それは重大な越権行為です。寮頭の見解を、寮員会議の結果を待たず、門主に伝えて良いかどうか、それは総長の指示を仰がねばならない事です。それとも、総長が認めた、あるいは指示した行為ならば、総長の責任は極めて重大です。
正式文書にする前に「内意伺い」として慣例的に行われる宗務であるという話もあるようですが、もしそうであるならば、杜撰な宗務が慣例化していたことになります。
いずれにしても、宗意安心に関する門主の諮問は、勧学寮全員の意見が一致しなければならないとされることを、寮頭独自の見解を門主に伝え、門主が予断されるような事になってはならないことです。宗意安心の裁断をするという門主の権限(宗法8条)を支える上で、宗務の手続きが厳正に執行されたかどうか、重大なことです。
さてもう一方で、寮員会議に寮頭は、室長に示した見解をどのように報告されたのでしょうか、明らかにされねばなりません。もし仮に、寮頭見解は室長より門主に「既にお伝えされている」との報告がされた上での寮員会議であったのなら、寮員は即刻寮頭を不信任し寮員を辞職すべきであったと考えます。
寮員会議がどのように進められたのでしょうか、大きな疑問点です。
寮員会議々事録は開示して、責任の所在を明らかにし、「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」を巡る宗務の混乱を一刻も早く終結させねばなりません。
問題点⑨石上智康元総長
御門主様は「法灯を伝承し宗門を統一し、宗務を統理する地位」(宗法4条)の方です。「法灯を伝承する」と言うことは、教義について自己の思いを交えず、正しく伝えること、いわば教義のメートル原器のような地位です。メートル原器は、数分の一ミリたりとも狂いがあってはなりません。そして狂いなきよう担保する役目を担うのが勧学寮です。また、原器に照らし誤りなきよう宗務を執行するのが総局です。
御消息は、門主が総局の申達により、教義を広めるため、また、特定の事項(例えば御影堂の修復など・・・)について意思を宣述するため発布されるものです(宗法11条)。そしてその門主の宗務の責任は、申達した宗務機関が負う(宗法9条2項)とされています。いわば宗務機関の意思を、門主に述べていただくことになりますから、宗務機関が目指す宗務の内容は、教義に照らし数分の一ミリの狂いも許されないことです。
「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」は、令和3年(2021)4月15日、立教開宗法要の折に述べられた御親教の内容がその主意になっています。それは御親教ですから勧学寮に諮問されたものではありません。そしてそれは総局によって唱和運動が進められ既成事実化されていたものです。
この宗務の違法性については、令和4年(2022)2月の定期宗会や、その後の常務委員会で指摘されていることです。更に、これも問題として多くの方が指摘されていることですが、その内容が、石上元総長の著書「生きて死ぬ力」等に有るフレーズと、同文や同趣意であると見なされる文言が多くあることです。これは、法灯を伝承される御門主に、石上氏が自己の意思を語っていただいていると言われても仕方がないことです。
御消息発布に際し、総長、並びに勧学寮頭は、御消息に副署をしなければならないと定められています。(法規通則9条)御消息の内容について総長は、前もって関知することではないと言われますが、仮にそれが事実で有ったとしても副署されるにあたって関知されたはずです。関知されたならば総長は「御門主様、これは私には副署できません。」と、厳粛に申し上げられるべきであったと私は思います。世間通途の学術論文では、引用文献や参考文献は表記するのが礼儀です。それが御消息であるから記す必要はないとしても、結果として御門主の不名誉になることは、総長も勧学寮頭も断じて止めなければなりません。
総長はいかなる思いで副署をされたのか、また、勧学寮頭は、既に既成事実になっていることを、勧学寮が追認することがいかなる事になるかを考えて副署されたのか、大いに疑問に思います。
宗門総合振興計画は、いよいよ宗門長期衰退の計画となりつつあるようです。一刻も早い、宗門正常化が求められています。
問題点⑩御消息
御消息が発布されたら、通常は、各教区および別院において御消息伝達、披露の行事が実施されました。各総務さんは分担して、随行講師を伴い各教区に御消息伝達に回られました。各教区では各寺住職、組長、総代、仏婦役員や教化団体の役職者等が集まる中、総務は威儀を正し厳かに御消息を拝読されました。一昔前までは、伝達に回られる総務を「御使僧さま」と尊称していたように記憶します。御拝読の後は、随行講師が御消息について御法話をされ、御消息の味わいを敷衍されました。
この度は、御消息伝達の儀式は省略して、御消息の学習会です。ようやく全教区での学習会開催が終了したようです。各教区ともに随分と議論されたようですが「御消息を拝受しましょう」となるような学習会にはならず、問題点が指摘され、理屈で応答することに終始したようです。
総長は、去る令和5年(2023)1月、御正忌報恩講において御門主の御消息発布を受け、「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」は、まさに『領解文』(現領解文のこと)の精神を受け継ぎ、念仏者として領解すべきことを正しく分かりやすい言葉で表現された御文であります」と述べ「御門主様の尊いお導きであり、まことにありがたく感謝の念に堪えません」と万感の謝意を表明されています。
この総長の言葉が、総長の本意なら、総長は、学習会の実施でなく従来通り、御消息伝達披露の儀式を各教区、各別院で速やかに実施されるべきです。また「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)に関する総局見解」(『宗報』令和5年6月号)を表明され、この度の御消息発布が、その内容においても手続きにおいても瑕疵が無かったことを説明されていますが、そうであるなら尚更のこと、学習会でなく御消息伝達の儀式を、厳かに厳粛に執り行うべきです。学習会が発想されたこと自体、総局(石上元総長)が、この度の御消息「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」発布にいたる、経緯から内容に至るまで「後ろめたさ」を持っておられる「しるし」のように思えるのですが・・・?
御門主様は「法灯を伝承し宗門を統一し、宗務を統理する」地位(宗法4条)の方です。「法灯を伝承する」と言うことは、教義について自己の思いを交えず、正しく伝えること、いわば教義のメートル原器のような地位です。原器は、数分の一ミリたりとも狂いがあってはなりません。勧学寮は勿論のこと、総長は、門主の宗務に数分の一ミリたりとも歪みを想起させるような宗務は断じて許されません。宗法9条の規定(門主の宗務)は、厳格に運用されねばなりません。
全教区での学習会は終了しましたが、今後、総局はどうされるのでしょうか。御門主にはどのように報告されるのでしょうか。現在の宗門の混乱状況は早急に解消されねばなりません。
総長は速やかに宗会を開いて今後の方針を明示すべきです。
また、宗会はこの度の混乱の原因を調査し責任の所在を明らかにして宗門正常化の方途を講ずべきと思います。
いただいた浄財は、「新しい領解文を考える会」の運営費に活用させていただきます。