どうして生じた?領解文問題 vol.4
松月博宣ノート
補遺(6)現代版「領解文」制定方法検討委員会設置規程
まるで火曜サスペンスドラマの容疑者がアリバイ工作した上での弁明との印象を受けたと前回申しましたが、それを裏付けることが「現代版領解文制定方法検討委員会」であっていたようです。
まず設置規則を全文あげておきます。
補遺(7)制定方法を検討する場
(6)でご覧になった設置規程で発足した委員会ですがその冒頭に「現代版「領解文」制定方法検討委員会の位置付けと役割」が以下のように明示されています。
従って、ここで定められている「権威があり、正しく、わかりやすい」という条件を満たした現代版「領解文」を制定するためには、どのような制定方法が妥当であるかを検討いただくのが委員会の役割であります。現代版『領解文』の内容について、ご検討、ご議論をいただく委員会ではございませんので、ご承知おきください。と、本願寺派を代表するような勧学寮頭、勧学、学長を相手に「あなた達の役割は方法だけ検討すればいいのですよ。内容に口出しはしなくてもいいんですよ。(もう決まってるんですから)」とわかりやすく言えば上から目線で明示した上で、委員会が始まっているのです。
これだけのメンバーが揃ってるのだから「内容を考えてください。それをご門主に申達致しますので」というべきなのにです。ここだけ読まれても、如何に横着な思考をしているのかお分かりになられると思います。それでも勧学さま方は「領解文」の本来的役割を朴訥なまでに訴えられるのですが、元より既定路線で突っ走しることしか念頭にない総務筆頭やこの委員会を統括する統合企画室ならびに総合研究所は聞く耳持たずでそういった発言がある度に「ここは内容審議の委員会ではない、制定方法を検討する場である」と釘を刺していきながら、自分たちが決めているように仕向けようと躍起になっています。それでも「この委員会自体を初めから仕切り直す必要がある」と抵抗した勧学さんもあります。
補遺(8)巧妙なトリック
「ご門主が書かれたものだから」という言説が流布し、この度のご消息に反論はしてはならないのだという雰囲気があります。ご門主は先にも記しましたように「ご門主はご開山親鸞聖人のお役割を、それぞれの時代に担ってくださるお方とお敬い」しております。だからこそご門主のご発言は細心の注意を要するのです。特にご消息となると門末への重要なメッセージとなりますので慎重を期するのです。
先にも書いている通りご門主は勝手に公式でのご発言は出来ないことになっています。全て総局の申達によってご発言が求められるのです。「ご親教」(ご法話)も「こ消息」もです。ご法話に関しては総局か「これこれこういうご法要を勤めますので、ご親教を賜りますよう」と申達されるのです。このご親教(ご門主の法話)については「教義的可否」は検討されません。つまり勧学寮は関与出来ないのです。しかし総局の関与は出来るのです。「こういう内容で如何でしょうか」と。
2021年4月15日立教開宗記念法要時におけるご親教「浄土真宗のみ教え」は正にこれなのです。前に書きましたように、その時点で「これを現代版領解文にする」という総長の固い意志のもとでのものでした。「浄土真宗のみ教え」については勧学寮は全く関与できない状況下で発せられたものなのです。もし、「浄土真宗のみ教え」を勧学寮が関与出来ていたなら、当然書き直しなり手直し必要と答えられたに違いありません。しかし総長は、そうと知った上でご門主にあの内容でご親教をさせたのです。勧学など数人に「ご親教・浄土真宗のみ教えをいただく」なる冊子に寄稿させ、総長の好きな言葉「権威あるもの」と仕立て上げていったのが真相です。そしてこの度のご消息発布に繋げていったのです。
ご承知のように「ご消息」特に宗意安心に関わる消息は勧学寮員全員の同意が必要とされていますので「現代版領解文はご門主に制定してもらうほかはない」と制定方法検討委員会に答申させた上で、この度の「ご消息発布の申達」をご門主にしたのです。当然ご消息の中身は既定路線(浄土真宗のみ教え)そのものなのでした。
既にご門主が「ご親教」で語られたものがそのまま「ご消息」となってることから、勧学寮は表立って「不同意」は出来ないように仕組まれていたのです。わかりやすく言えば、勧学寮は総長が長い時間をかけて仕組んだ巧妙な「トリック」にかかってしまっていたという事です。
補遺(9)門主制
その「トリック」は勧学寮にだけ掛けられていたわけではありません。私ども僧俗ともに掛けられていたといっても言い過ぎではないと思うのです。今回の混乱の原因は「ご門主に責任」があるという言葉を聞きます。ご門主がしっかりとしていればこんな事は起こらないと。この混乱に乗じて「門主制見直し」をするべきだとの声が宗会議員をはじめ一部にあることを知っています。その方のお名前も耳に入っています。「門主制はおおよそ民主的でない、だから僕はぶっ壊さなきゃいけないと思ってる」と。
果たして門主制を見直したところで今回のような混乱が起きない保証があるのか?冷静に考えねばなりません。まず申しておきたいのは私どもはご門主を「善知識」としてお敬いしています。ご門主の仰せを「仰せの通り」とお聞かせいただくことで本願寺派のご法義を成り立たせているのです。そうでないと教団の法義に狂いが生じるからです。
このシステムはご法義が間違いなく伝燈されていくための担保システムなのです。その為の門主制だと思います。だから「ご門主が出されたものだから文句を言ってはならない」との意見は間違ってはいないと見るべきでしょう。ご門主の宗教的権威という立ち位置を無意識ながら合意の上ではじめて成り立つ教団なのですから。
ただし、それにはご門主への申達をはじめとした「正常に宗務を運営されることが大前提」であることだけは申しておきたいと思うのです。今回のことで、ご門主は「総局が推進する事項について私が関与することはとても困難です」と、ひょっとするとどこかで吐露しておられるかも知れませんね。
補遺(10)過去の問題
「門主制」は宗意安心の正当を守る機関(システム)、それを勧学寮まで巻き込んで「自見の迷語」をもって悪用したのが今回の混乱の原因である(某宗会議員さんの述懐)。言い得て妙な指摘です。しかし今回はそうであるだろうけど過去にはこういったことは無かったのか?という疑問も湧いてきます。
確かに歴代総長の時代にもいろいろな問題や事件があり宗門を混乱に陥れた事案があります。近年では「北山別院墓地」問題が記憶に新しいです。現総長では「ビハーラ病院理事長背任行為」問題が現存しています。いずれも金銭にまつわる事案で、特に今回の「ビハーラ問題」は総長の任命責任が問われているのですが、本人は宗会での追求に対して『背任行為がなされることを予見することは不可能であるので任命責任は問われない』と「顧問弁護士が言っていることから任命責任を私が問われる筋合いのものではない」
何とも理屈に合わない詭弁論法で追求をかわしています。それ以上追求が出来なかった議員さんは勉強不足の謗りは免れないと思います。「何故そこで顧問弁護士などの言葉を言い逃れの材料とするのか?総長の任命権はそれほど軽いものなのか?それとも任命したけど、事を起こしたのは自分ではない、あいつが悪いのだと、お考えになっているのか?もしそうならば宗門のリーダーとしては不適格であると思われるが、総長あなたはその点どのようにお考えになられるのかお聞きしたい」ともっと攻め込んでもいいと思うのですが、、、、。
私は素人ですからこれ以上申しませんが。これをみても金銭がらみの俗より俗的な問題は起こっています。しかし宗意安心に関わることは「菩薩戒経問題」以外ありません。これは今回とは少し趣きが違いますので取り上げません。今回はズバリ宗意安心に関わることで、それに今までには無かったといえます。
それは何故か?
つづく
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