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どうして生じた?領解文問題 vol.14

松月博宣ノート

【例証編】⑫「こうあるべき」の呪縛

これら(ご親教)は真宗の教義の肝要を簡潔に分かりやすく示されたご文章であり、これらの学びを深めることにより、浄土真宗の基本的な教えと念仏者としての生き方がしっかりと身につけられ、心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する事が見込まれる。

これは2021年11月22日の宗門総合振興計画事業の進捗状況点検のおり、 見込まれる成果として書き込まれている文章です。ここで「ご親教三部作」を「ご文章」と表現している事に驚きます。おそらく『ご親教3部作』を「現代版ご文章」と位置付け、『新しい領解文』を「現代版領解文」とした上で、これからの浄土真宗本願寺派の教化の柱とする目論見がはっきりと見て取れます。

ご親教3部作の《「念仏者の生き方」「私たちのちかい」「浄土真宗のみ教え」》の底に流れることは「理想的な念仏者の生き方」が示されていると思うのです。

ところで宮沢賢治と言えば大谷派寺院の門徒で浄土真宗の教えに熱心であったのですが、18歳の時 島地大等編の「漢和対照妙法蓮華経」中の如来寿量品に触れて法華信仰に入り、やがて国柱会に入信後「法華文学」執筆が始まった方ですが、最近思うのです。おそらく賢治には浄土信仰は「まどろこしくて生ぬるい」との思いがあったに違いありません。「利他行」実践こそ信仰の意味であると。

昨今の本願寺派の諸問題の根源は、宮沢賢治が浄土信仰から法華信仰に転じた大きな原因に「菩薩行」的生き方を理想としたことだと思えますが、それとの相似性があるように思えてならないのです。現代人に浄土に往生するとか、他力の救いなどを伝えても理解はできない。「伝わりやすく」するためには、理解し共感してもらえるような「生き方」を積極的に打ち出してこそ訴求効果が期待できるとの考えになったと思えるのです。

お亡くなりになられた総合研究所所長の丘山願海氏が「他者性」という事を盛んに仰っていました。雑談しているとき真意を聞いてみた事があります。それを要約すると

浄土真宗は大乗仏教、大乗仏教は自利利他の菩薩道。ならば真宗門徒は菩薩行の実践をする事がその生き方にならなくては、教えを生きる事にはならないと思っている。そこで「他者を見」「他者を思い」「他者のために」生きる、生き方を示す事を言うため「利他の精神」では現代人に理解してもらえないから、分かりやすく「他者性」と言っている。

丘山願海さんと言えば東京大学大学院で教鞭をとっておられたのを、本願寺派総合研究所副所長としてヘッドハンティングされ、お得度された方(私は氏の得度には反対しましたが)。本人曰く、若きとき解脱がしたかったと京都大学で印哲を学ばれたほど求道心の強い方でした。宗派が基幹運動を解体し実践運動に模様替えする時、その理論構築の一端を担われていたのが丘山氏と聞いています。その根底には「理念から実践へ」の思いがあったであろう事は想像できます。その氏の思考の方向と石上前総長の思考には相似性があるのです。だからでしょう石上さんは常に丘山氏に「生き方路線」の理論武装の役を担わせていました。

丘山氏の真宗理解を問題にしているのではありません。それは丘山新という一人の人格が、そのように受け取られていたと言う事ですから尊重します。先の他者性を語られた時、私が「それは理想的な生き方ですよね、そう生きられたら素晴らしいと思うけど、人さまにご迷惑ばかりかけて生きるしかない私には間に合わないなぁ。私は詫びながらの生き方しか出来ないですよ」と笑うと、困った人間を見るような顔で私を笑いながら見ておられました。

かく言った私も、かつては丘山氏と同じような考えでしたから「他者性」と言う事について共感はできませんでしたが理解はしました。汗顔の極みですが、かつての私は「真宗念仏者として理想的な生き方があるはず」「念仏者はこうあらねばならない」「念仏者はかくあるべし」という思いが強く、そうとは見受けられない事に対して強い抵抗感と批判を加えていました。

聞法する中で『そういうあんたは何者か?』という「自分を棚に上げての聞法」をしていた事に気付かされ、私はどう生きたらいいのかという聞法から、阿弥陀さまは私を、どう見て、どうなさろうとしているのかを聞く聞法に変えなされた事がありました。その時ふつと「こうでなければならない」「こうあるべき」の呪縛から解放された経験があります。

「まどろこしく生ぬるい」と浄土真宗に諦めをつけるのではなく、私を諦めてくださらない浄土真宗を聞きていく中で、真の生きることの意味が開顕されてくるのですから伝えるのは難しい事です。

釈尊は阿弥陀経に

舎利弗、当に知るべし、我五濁悪世に於て此の難事を行じ阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間の為に、此の難信の法を説く、是れ、甚だ難しと為す。

と、五濁惡世にして、この難事を行じて、悟りの智慧を得て、一切世間(現代人)のために、この難信の法を説いた。これが甚だ難しいのである、と仰せです。なぜ難しいのか?『仏の言葉を聞こうとしない人間(私)の在り方が難信を呼ぶ』のである事を、愚直なまでに伝えることこそが『伝わる』ことであると思うのですが。

【例証編】⑬ご門主の真意はどこにあるのか?

今まであまり述べなかった事ですが、ご門主の真意はどこにあるのか?という事について少しばかり。

領解文問題の根本的原因の一つに前総長が個人の思想を宗門内に反映させようとの強い意志があった点を挙げました。今までの検証はその一点で読み解こうとしたものです。確かに総長への権力集中は宗本区分以降、より強いものになっています。議会制民主主義は時間と経費がかかります。また人間の集まりである宗議会のありようを「コップの中の嵐」「永田町の真似事」と前ご門主が指摘され、その有り様を嫌われた事が、現行の宗本区分という体制に変えられていった一因でもありました。

果たして宗教団体に民主主義が必要なのか?という事については一旦置くにして。現行の制度では門主の意向を総長が受け、それをそのまま速やかに宗門内に敷衍する事が可能なシステムになっています。特に総長の意向が充分反映される「常務委員会」が宗門最高の議決機関となっている点は一般僧侶や門信徒は、この度の一件で初めて知った方も多いのではないかと思います。

今回も宗会に『新しい「領解文」は各方面から多くの意見がある中で、それを宗務の基本方針で唱和推進する事は、門主に傷をつける恐れがあるのでご配慮いただきたい』という請願をしたのですが、「ご門主が仰っていることだから」という一点で、唱和推進の一旦停止の願いは届きませんでした。宗会は宗務の基本方針と予算について審議し採決します。採決したものを元に、細やかな具体策を「常務委員会」に諮り、議決をするのですが、この常務委員会で議決されてしまうと、それを覆す事は不可能になるのです。

ですから321回定期宗会に掛けたのです。しかしすでにご承知のように多くの宗会議員さんにはご理解はいただけませんでした。僧侶議員は大人の事情で判断する傾向がありますので、門徒宗会議員さんに、ことの次第を伝え請願採択に動いてもらうようにもはたらき掛けましたが、今回のことは宗意安心に関わるという真意を十分ご理解いただけなかったようで数人を除き不採択に回られたのです。

あとは常務委員会に掛けるしかなかったのですが、宗会で議決した事項をここで覆す事は不可能な事と知った上で、今回は複数人の常務委員に事情を話し、唱和推進だけは保留に向かう議論をしてもらうよう働きかけましたが、もはや手遅れでした。このシステムを最大限駆使し、3月24日開催の常務委員会で「手続きに一切の瑕疵はない。消息に小職が関与した事実は一切ない」という当時の石上総長の言葉を残したまま宗務の基本方針具体策が機関決定され現在に至っているのが現在の状況です。

門主の意向があらゆる機関の審議(事務的手続き)を経て決定された形になっていますから、実は常務委員会で賛成14、反対1となった時点で「全ては終わっている」のです。

しかし新しい「領解文」に問題があると考えるからこそ、先ずは「手続きに瑕疵は無い」としている点を突くことで「消息」そのものを「取り下げる」方向に、それは無理としても次善の策として「唱和推進の停止」に向かわせようと声を上げ続けて来ました。それには宗門世論の多くの声が大切と判断し、全寺院で問題のありかを共有するためのパンフレットや勧学・司教有志の会の声明文を送付をして来ました。九州や広島など一部地域では問題について早くから理解が進み学習会などが盛んですが日本全体から見ますとまだまだという感は否めません。

池田新総長になって「詰まり感」が増したように感じています。何故なら先の石上総長辞任に伴う臨時宗会での門主の「総長候補者指名」の中味を見たからです。私は本稿で「今度の総長指名は宗会議員の複数を指名してもらいたいもの」と述べておきました。それは「指名内容で門主の意向が何処にあるのかが分かる」と考えたからです。

【例証編】⑭開けてびっくり玉手箱

石上総長の辞任を受けた先の臨時宗会でのご門主の「総長候補者指名」は
元教学研究所部長であった保滌裕尚氏と、石上総長の下で共に新しい「領解文」を推進していた池田行信氏の2人でした。この一報を受けた時「やはり」という思いがよぎり無力感に襲われてしまった事を白状しておきます。と、同時にご門主は何をお考えになられているのだろうと思ってしまいました。

何故なら保滌氏は81歳、体調が思わしくなく施設に入所しておられるとの情報が、指名が分かった直後に入って来たからです。ご門主が保滌氏をもう1人の候補者として指名なされるにあたり、それをご存知なかったのか?もしそうなら、こ門主とその側にいる人間の宗派内の状況把握・情報収集能力の弱さが露呈したことになります。ご存じの上でご指名されたのならご門主といえども、否ご門主だからこそ人権感覚が問われ、保滌氏に対して大層失礼な事をなさったことになります。また、これで選挙せよと宗会議員方をも愚弄している事になると思うのです。

巷間、総長指名の時「当て馬」が1人ないし2人を入れられると、まことしやかに言われますが、もしそうなら当て馬とされた方の人格を否定している事にお気付きになる必要があります。貴族の遊びの如く当て馬指名されては、指名された人はただの道具扱いにされたことになりますし、またご門主が仕組んだ出来レースに乗らなくてはならない議員もたまったものではありません。私たちもその為の要員としか見られていない議員を選挙で送り出していることにもなります。今回は特にご自分の名前で制定された、宗門内の大多数が問題ありとしている「新しい領解文」を今後どの様に扱うかを決する「分かれ目」の総長選挙でした。

石上氏の異例とも言える30分にも及ぶ辞任演説を聞き終えたあと、議長がご門主のところに出向き指名書が入れられた黒塗りの箱を受け取り、議長席で開封し2人の名前を読み上げたのが11時20分を過ぎた頃でした。午後直ちに選挙出来る時間帯でしたが宗会運営委員会は「総長を選ぶということは宗門にとって重要な事項であるから、よくよく考えるために翌日の選挙とする」と決めたのは、この度のご指名に不快感を表したことだと考えられます。

ある宗会議員さんのお1人は選挙当日、保滌氏のことは全く知らないし、どんな所信を持っている方かも全くわからない中での選挙、憂鬱な朝を迎えたと述懐する言葉と共に「棄権や白票は無責任になると思う」と自らの投票行動を示唆する言葉をSNS上にアップされていました。私はそれを見て、「白票は無責任な行動とは思いません。門主の指名そのものへの異議を示す投票行動だと考えています。」と一言コメントしましたが、問題の所在に対しての認識の違いか、はたまたSNS上でのやり取りに限界があるためか、筋違いな返信しかもらえませんでした。

今回の指名については石上氏かそれに近い宗務官僚のアドバイスがあったのではないかなどと噂には上がっていますが、証拠がありませんのでなんとも言えません。ただ今までの石上氏が採ってきた「ご自分の目的達成のために人間を駒の如く利用する手法」等からみると、あながちあり得ないことではないと考えます。しかし、いかに石上氏のアドバイスがあったにせよ、それに従うか拒否するかはご門主ご自身の判断です。こう考えてみるとご門主の意思は、「新しい領解文の推進をすることが、これからの宗門にとって必要なこと」にあることになります。

では何故、三業惑乱と同じような宗意安心に誤解を生む恐れがある「新しい領解文」をこうまでして推進していくことにご門主が固執されるのか?また既に「門主制についての一考察」⑩で述べたように総長候補を門主が指名する制度に問題はないのか?今回の指名には多くの問題が露呈しています。ここのところの解明と検証がなされなければ今回の問題解決は程遠いことですし、指名制の修正も視野に入れておかないと将来も同じようなことが起こりうる危険性があると思っています。

【例証編】⑮ご門主

ご門主の意思は、「新しい領解文の推進をすることが、これからの宗門にとって必要なこと」にあると先の総長指名から読み取れると述べました。ご門主にとっては総長候補指名が唯一ご自分の意思を明らかに出来る場面であるからです。もっとも石上氏が後ろで糸を引き、それに追従されたとしたのなら最早門主の役割を自ら放棄されたと見做されても仕方ないことになります。甚だ矛盾した物言いになりますが、そうではない事を念ずるばかりです。

先にも(門主制についての一考察」⑨)で見てきたように、2014年6月6日法統継承にあたってのご消息で

宗門の現況を考えます時、各寺院にご縁のある方々への伝道はもちろんのこと、寺院にご縁のない方々に対して、いかにはたらきかけていくのかを考えることも重要です。

続いて

本願念仏のご法義は、時代や社会が変化しても変わることはありませんが、ご法義の伝え方は、その変化につれて変わっていかねばならないでしょう。現代という時代において、どのようにしてご法義を伝えていくのか、宗門の英知を結集する必要があります。

と、ご門主は現代人に浄土真宗を伝えるには伝え方に工夫をしなければならない、宗門の英知を結集していく必要と語られています。私はこれを「変えてはならない事は、ご法義」と「変えていくべき事は、伝え方」と明確にお示しになったものと好意的に受け取っていました。

しかしその後発せられる一連の「ご親教三部作」を聞いて、「ご法義の伝え方」を変えるのは共感できるけど、他力の救いの教えを変節させてまで?と漠然としたものですが違和感を感じたものです。今にして思えば「ご法義の伝え方は、時代の変化によって変わっていかねばならない」ことを、極端に言えば「宗意安心に少々誤解を生じさせるぐらいの事でないと伝わらない」時代だから、その結論として、新しい「領解文」を制定したことなのかと。
つまり「伝え方」には教えの内容も含んでおり、それを「繰り返し唱和をすること」によって浄土真宗のご法義が未信の方にも伝わるとお考えになっていることです。が、しかしこれがご門主の言葉、「宗門の英知を結集」したものとはとても思えません。

ご門主はどなたにご相談されてこのような路線を導き出されたのでしょうか。石上前総長は「ご消息の内容について関与した事実は一切ありません」と常務委員会でも辞職演説でも重ねて主張されています。この発言で総局の申達によって宗務の執行をされるご門主の梯子を石上氏が完全に外したことになっていますが、「私たちのちかい」にしても「浄土真宗のみ教え」にしても、それを元に制定された『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』にしても石上智康という方が上梓されている『生きて死ぬ力』からの言葉が多数見受けられる事を見れば、ご門主は石上智康氏の思考に感化され、図らずもその著書から言葉を拝借されたものと考えなければ、あの文章は理解できません。

そうでなければ慶讃法要や臨時宗会時のご親教やご教示において、あれほど新しい「領解文」を自信を持って推奨される筈はありません。とここまで書いて「たとえそうであろうとも、ダメなものはダメなんだよなぁ」と溜め息をついています。

ご門主には宗意安心の裁断権があります。それはご門主が宗門内に宗意安心について疑義が生じた時、それに対して判決をくだす役割と承知しています。それは得度式で『本宗僧侶に加える』と度牒を渡されるのは、「間違いのない安心である」ことをご門主が聞いた上での事ですし、御正忌報恩講時にご開山の御前に進み出て、私が聞いて「領納解知」(領解)した内容の出言を、ご開山の役割を今の時代に担っておられるご門主に聞いてもらう「改悔批判」にも表れています。

これらの事を単なる儀式として、その意味を深く考えることなく行なっていた私たちの問題でもありますが、その中心には全て『領解文』が据えられているのです。ですからご門主の宗意安心の裁断権の拠り所は『領解文』にあると言えます。それほどの重い意味を持ったものを、ご門主の宗意安心に関わる事を諮問する、それこそ「宗門の英知」たる勧学寮に一切の相談もなく制定されたことが大きな問題だと思うのです。

ご門主のこれからの宗門についてのご心配は大変なものだと想像します。これほどの大教団を担っておられるのですから私どもには想像もつかない重いものがおありと拝察します。その「ご心配が焦りとなって」しまい、身近にいる石上氏のみと相談されたのではないかと危惧します。

まことに残念なことだと僭越ながら思いますが、ご門主にそうさせたのは今まで論考してきた結果、石上前総長であると言わざるを得ません。しかしその本人は辞めてしまい、この度の混乱の責任を一身に受けなければならないのがご門主でした。まさに梯子を外されておしまいになられたご門主と見えます。

【例証編】⑯前任の意思を引き継ぐ池田総長

ご門主の意思であることは理解できますが、その意思を固められるに至った経緯に些かの疑問を持っています。せっかく法統継承時のご消息に「宗門の英知を結集して」とお述べになられているのですから、結集していただきたかった思いがあります。

先に述べたように、法統を継承され間のない時期に園城総長の病気療養による辞任があったため、急遽「総長候補者の指名」をしなければならない状況でした。若き門主として足元を固める時間が必要な時、宗門内の状況や宗会議員の把握も十分出来てない時、また心を割って相談できるブレーン的な存在も作れてない中での指名です。

ご門主はごく限られた方しか中々お会いできません。したがってご門主の身近な存在で、自分の考えを実行してくれそうと目される方を指名され、結果、その特異な思考と剛腕に振り回され、あれよあれよという間に、のっぴきならない状況になってしまわれた、と私は見立てています。

ですから、この度の総長指名はご門主にとって軌道修正する絶好のチャンスでしたが、これは想像邪推が過ぎるかもしれませんが、自分の考えたことに異常なまでに自信と執着心の強い石上氏の、『つぎは池田君が私に代わってあなたを守ってくれます。いまの路線を変えると宗門の未来はありません。』の自信に満ちた囁き(ささや)きに、宗門内から聞こえてくる反発の声の多さに心が折れそうになられているご門主は『戸惑いを持たれながらも』その囁きを頼みとされたが故に、あのご指名になった。

だから池田新総長は石上前総長の意を体して(ご門主のお心を体してではなく)『前総局の新しい「領解文」推進を継承する』と就任受諾挨拶になったと考えるのが筋が通ります。そう見立てるのが筋が通りますし、そうと思わなければ私たち門末はやり切れません。ただ思いでしか語れないもどかしさを抱えたままですが。

仏教タイムス6月8号1面には池田新総長が

新領解文を批判し、取り下げや勧学寮員会議の議事録開示等を求めている勧学・司教有志の会「勧学・司教有志の会」については、「意見は自由」としながらも「総局が取り下げをする手続きはできない。勧学・司教たる方々がそんなことを仰るのはいかがなものかとと思う」とたしなめた。

と語ったと記事にされています。

宗学を研鑽した勧学・司教だからこそ、新領解文を『宗意安心に誤解を生み、ひいてはご門主を傷付けることになるから取り下げを』と訴えているのに、総長が「取り下げなど言うことはいかがなものか」とは、いかがなものか?と言わざるを得ません。

この発言からは「声を聞く」「話し合う」「折り合う」「共に凡夫」の姿勢、つまりリーダーとして必須とされる「謙虚さのかけら」が全くもって見られないことに、この総長が舵を切る宗門の未来を憂います。池田氏の言葉からは「これで行くよ、宗門内声など聞かないよ。あなた達は勝手に騒いでいなさい。」という心根しか見えません。二代もこのような思考の総長が続くと宗門は疲弊してしまいます。

ところで「総局は取り下げの手続きは出来ない」と池田新総長は語ったと先の記事にありましたが、総局が消息を「今後依用しない」とされた例は20年前にありました。それは戦時下で発布された消息によって多くの方々を戦争に送り出してしまった苦い経験への反省でした。2008(平成20)年4月1日より施行された『宗制』では歴代宗主の消息は準聖教扱いから外されていますが、それに先立つ2004年の『宗報』《録事》に、宗門の戦争責任を総括する中で戦時中15年間にわたって発布された戦争への協力を促すご消息やご教諭などを「今後は依用しない」とするとの、「宗令」第2号と「宗告」第8号、背景説明をする「総局見解」が掲載されています。

・「宗令」とは、宗務の施行上特定の事項に関する一時的命令をするもの。
・「宗告」とは、宗務の施行について告知するために、総長が署名して発布するもの。

これは長い時間をかけ宗門内の多くの方々が声を上げ続けた結果、総局を動かした事例です。総長・総局の高度な政治的判断が必要ですが、それがあったからこそ、このような手続きでご消息などを「今後依用しない」が実現したものと考えられます。

つづく

以下参考資料として
『宗報』 《録事》から転載をしておきます。

宗令第二号
このたび、宗門が1931(昭和6)年から1945(昭和20)年にいたるまでの15年にわたる先の戦争に関して発布した消息・直諭・親示・教示・教諭・垂示などは、今後これを依用しない。
 2004(平成16)年5月24日
門主 大谷光真
総長 不二川公勝 
総務 松原功人 総務 出口湛龍 
総務 竹田空尊 総務 速水宗譲 
総務 下川弘暎

宗告第八号
このたび、2004(平成16)年5月24日付発宗令第二号による、「宗門が1931(昭和6)年から1945(昭和20)年にいたるまでの15年にわたる先の戦争に関して発布した消息などは、今後これを依用しない」とする主旨をふまえ、また「聖徳太子奉安様式」制定にかかる達示及び「聖教の拝読並びに引用の心得」通達にかかる総局の対応を明らかにするため、ここに別紙のとおり「宗門における戦後問題への対応に関する総局見解」を告知する。
 2004(平成16)年5月24日
総長 不二川公勝 
総務 松原功人 総務 出口湛龍
総務 竹田空尊 総務 速水宗譲 
総務 下川弘暎

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/


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