仲が良かった友達の話



前に仲が良かったけれど今は疎遠になった友達のことを、ここ最近思い出している。仲が良かった理由も疎遠になった理由もたぶん同じで、要するに私たちはよく似ていたのだと思う。


出会ったのは私が大学二年生、彼女が一年生のときで、私は一年浪人していたので歳は二つ違った。

私たちは、十代の終わりまでに最も感度が高まる類の情緒に、なんとか名前をつけ、客体化し、20代に入れば急速に忘れるだろうそれらの情緒を、失うまいと必死だった。自己憐憫に忙しく、よく酒を飲んで悪態をつき、安全な範囲で自分をいたぶっては、その体験を強さと称して笑い合った。


ある春、彼女と『少女邂逅』という映画を観に行った。

主人公の女子高生二人はまさに、私たちが失いたくないと願ったあの感度が最高の時期にあり、しかし映画の中の彼女らは、それに名前をつけて説明する必要性をまだ感じていないようだった。

「失くさないように」と頑張る時点で、私たちには既に“失くす予感”が訪れていたのであり、もう映画の中の彼女たちのようには戻れないのだった。


映画館を出ると彼女は、「高校生の時にあなたと仲良くなりたかった」と言った。私は、彼女が通っていたという東京の私立の女子校に私が通うところを想像しようとしたが、出来なかった。なんといっても私は地方のしがない公立高校の出身だったから。

私は、彼女がおそらく都市の中で身につけただろう硬質なセンスに憧れていて、それは自分が今さら願っても手に入らないものだった。そんな訳で私は少し悲しくなった。



彼女が高校をサボってよく行っていたという新宿の喫茶店に、二人で行ったことがある。私はもう大学を卒業していたけれど、彼女とはたまに連絡をとっていて、そこには彼女のほうが誘ってくれた。そこでも私は、一緒に観た映画のことを思い出していた。私はまた、高校生の私と彼女が授業をさぼって二人でそこにいる様子を思い浮かべようとしたけれど、やっぱりうまくいかなかった。


以来彼女とは遊んでいない。私は、いつかまたあの喫茶店で彼女と会うところを想像する。そちらはなんだか容易に想像できるので、私はどこか安心する。





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