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無限の重ね合わせ状態とある光

 洗濯バサミは戦闘機だった。畳の縁は道路だった。椅子は机は基地にも山にも何にでもなった。ミサイルが飛び交い、レーザー光線が発射され、爆発が起こる。人やロボットを模したおもちゃは話をし、考え、動き回って彼らの世界で彼らの物語を進めた。僕はその物語を眺めていたのだろうか、それとも僕自身がその物語だったのだろうか。
 ある幻が醒めるということ。
 ある幼さを失うということ。

 何歳だったのかは覚えていないが、僕はその日受けたショックをはっきりと記憶している。
 いつもと同じ様に、僕はバケツからおもちゃを取り出して並べた。2つの陣営に分けられた彼らは、小さないざこざを発端として戦闘状態に陥る筈であった。トランスフォーマーやゾイドの出番はもっと後だ。まずは左陣営からキンケシに準ずる小さなゴム人形が、右陣営からは卵の形状に畳める動物が取り出され、僕はそれぞれを左手、右手に持つ。
 何も起こらない。
 どうしたのだろうか。彼らは話し出すこともなく、戦い始めることもなく、ただ僕の指に支えられていた。見えない筈の僕の手が、ただ僕の手として、そこにある。おもちゃ達も、ただのおもちゃとしてそこにある。動かない。ここにいるのは僕一人だ。僕とただのプラスチックの塊。おかしい、そんな筈はないと思って、僕はゴム人形と卵動物を動かしてみたが、やはり何も起こらなかった。いったい僕は何をしているのだろうと思った。一人で何をしているのだろう。少しの間混乱し、そして理解した。
「そうか、これが大人になるということなのか」
 だから、大人達は両手にソフビ人形を持って戦わせたりしないし、リカちゃん人形で遊びもしないのだ。彼らには、おもちゃがこういう風に見えていたのだ。話しも動きもしない、ただのプラスチックに。
 僕は静かにおもちゃ達をバケツに片付けた。翌日、もう一度試してみても、同じことだった。彼らはもう戻ってこない。それはある日突然、永遠に失われた。

 僕は「子供はすごい。子供はみんな芸術家だ」みたいなことは全く思っていないので、子供を持ち上げる意図は全くないのだが、子供の時にしか見えなかった世界は確かに存在する。ただの思い違いかもしれないが、あれはなんだったのだろうという物を見た記憶もあり、その謎は永遠に解けないだろう。明文化されたルールもない中、友達とある世界を共有してごっこ遊びをするみたいなことも、もうできない。
 あの頃、現実のこの世界と、あちらのあの世界は境界が曖昧だった。町から山の中に入って行った時、夕暮れの太陽が落ちていく時、ある時点で背筋に恐怖が走り、僕たちはあちら側に置いていかれないように家の灯りを目指した。
 人間は生まれた時(あるいは受精から細胞分裂のいつか)に現れ、死んだ時に消える、つまりある瞬間に現れ、ある瞬間に消えると考えられているが。実のところそんなにクリスプなものではないのかもしれない。段々とこの世界に現れ、幼い間は半分あちらの世界に居て、成長とともにいつの間にかこの世界の確固たる住人となり、そして老いると共に段々とこの世界から消えていくのかもしれない。
 同様に、この世界とあの世界の境界も曖昧で、僕たちの世界は重なり合い存在しているのだろう。
 雨音の向こうから、ただ一匹の虫の声が聞こえる。

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