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「緊張」を、置いてきました

いまだに緊張する。

大人数の前で話す時、尊敬する人と話す時、原稿を送る時。その度に「くだらない」と思う。緊張したところで、世界は変わらない。

人の目を気にしているのだろうか。失敗をおそれているのだろうか。取り繕おうとしているのだろうか。自分に過剰な期待をかけているのだろうか。

どの理由を考えても、くだらない。失敗してもいい。期待しなくてもいい。誰かに良いところを見せようとしなくていい。そのままの自分でいい。それ以上でも、それ以下でもないのだから。

頭で理解していても難しい。いまだに緊張してしまう。

緊張にも種類がある。

「良い緊張」と「悪い緊張」。良い緊張はポテンシャルをひらき、悪い緊張はポテンシャルをとじる。要は、パフォーマンスを発揮できるかどうか。

「良い緊張」は心地良さの中にある。呼吸が深く、視界が広がり、頭が柔軟な状態。「悪い緊張」はその反対。呼吸が浅く、視界は狭まり、頭が硬い状態。わたしたちは、この凝りをほぐしたい。

「緊」は、固く引きしまる。「張」は、ひっぱる。つまり、「緊張」とは、はりつめた状態。硬く、つっぱる感じ。緊張をやわらげるためには、ゆるめる必要がある。

「脱力」と「リラックス」は似ているようで、少し違う。「脱力」は、力が抜けてぐったりすること。気力が衰えることも含まれる。ここまで行くとだらしがない。「リラックス」は、心地良い緊張を帯びた状態。ふっくら白米だけど、歯ごたえのある感じ。パスタでいえば、アルデンテ。わたしたちが目指すのは、ここ。

芯はいる。

それ以外は手放してしまう。湯に通したアルデンテなわたし。緊張は、置いてきました。どこに置いてきたのかは、忘れました。



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