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1000文字の手紙〈ケイさん〉

ケイさん、この度は第三回教養のエチュード賞にご応募くださり、ありがとうございます。

今回は、文学賞に応募した記録。とても密度の高い時間をお過ごしになられたことが伝わってきました。第一回、第二回の作品にも感じたことですが、ぼくはケイさんの「きちんとした」ところが好きです。内容はもちろんのこと、ことばの並びに現れている。今回の作品を読ませていただくと、生活のリズムまで「きちん」としていて、心地良い気分になりました。

その「きちんとした」アティチュードは、佇まいに現れます。文字の配列から醸し出される空気。懇切丁寧にことばを選び、一つずつ並べていくその姿に愛おしさのようなものを感じます。吟味と工夫が施されている。実際に選び、並べている姿を見たわけではありません。でも、並んだ文字を見ていると、それが伝わってくる。

ケイさんの文章は、選んだことばに明確な意志があり、置かれた場所に確かな意味がある。それは改行一つとってもそうです。「なんとなく」ではなく、そこに、小さく、固い、意志を感じる。それは生薬から有効成分を精製するかのような、高度な繊細さと集中力です。そこに苦労が見えない。むしろ、「そうしなければしっくりとこない」といった印象を受けます。先ほど「愛おしさ」と表現したのは、そういった理由です。ケイさんにとっては当たり前のことかもしれなけれど、文章に現れるその佇まいから、読み手(少なくともぼくは)可憐であり、健気であり、いじらしい「何か」を感じる。

その木目細やかな工程は、書かずとも「愛」を醸す。それも大声で主張する「愛」ではなく、こよなく控えめに。だから、ケイさんの文章が好きなのです。

薄明さんと友人関係であったことに驚きましたが、ほどなく納得しました。お二人の醸すムードは確かに重なり合う部分が広い。「共通言語」というよりも、「共通沈黙」が多いように思います。しゃべらずとも、分かり合える沈黙を共有できている。そんな気がします。

文学賞に挑戦する姿が眩しいです。勇気をいただきます。アリが蟻塚をつくるように、慎重に、我慢強く、懇切丁寧に、一つひとつを積み上げていくその姿は、それだけで美しく。ケイさんのその営みはかけがえのないものだとぼくは確信を持っています。

今回も素敵な作品を届けてくださり、ありがとうございます。



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