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悪魔とダンス

急性胃腸炎で倒れていた。

二日前の昼過ぎ、原稿を書いている途中で腹部に痛みが走った。それも絞め上げるような痛みで呼吸することもままならない。もちろん文章を書いていられなくなった。病院に運ばれる。

耳元で悪魔が囁く。

「そんなもんかい?」

原因は多分、ストレスだ。綱渡りのように締切と締切の間を縫うようにして仕事をしていた。フリーランスに休日はない。たまたま何の予定もない一日があったとしても、その時間は今抱えている原稿を磨く時間に使うべきだ。

魅力的な文章が「思いつき」のように書かれているのを目にしても、僕は決してそれが「思いつき」だとは思わない。「思いつき」なんかでいい文章は書けない。これまでの人生の積み重ねと計り知れない試行錯誤の堆積によってそれはようやく現れる。「ふと、思いつきました」みたいな表情をして。

「痛い」というのは身体の叫びだ。

とある先生から聴いた言葉。「痛い」と感じるのは、身体が「生きたい」と言っている証拠。だから、その痛みがどれだけ激しくとも、痛みを感じている間は死なない。最も危険なのは痛みがない状態だ。痛みがないのに血尿が出たり、傷ついているのに何も感じなかったり。

死ぬ前の人間は「痛み」を感じない。

ベッドの中で「あれとこれと、それからあれと…」溜まっている原稿を数えるだけで。その他のことには頭が働かない。60秒置きに胃が絞めつけられる。気が付けばうつ伏せで身体を丸めていた。

また耳元には悪魔の姿が。

「こんなところで、立ち止まっていていいのかい?」

「いや、この痛みが治まったら、すぐに行くから」

「間に合わないぞ。間に合わないぞ」

また、波のように鈍い痛みが押し寄せてくる。意識が遠のいていく。

恐怖心は免疫力を下げる。

先日、聴いた教授の話。「こわい」と思う心が、身体の免疫機能を下げる。体調を崩すほとんどの理由は、不安や恐怖からくる。昨今のウィルスに関する不安が、実際的な感染以外の部分で人類に大きな影響を与えていることは言うまでもない。

「恐怖」は自分の想像力がつくり出した悪魔だ。

ストレスなきところに成長はない。

快適なのはすばらしいことだけど、それだけでは一つも前に進めない。筋線維を壊さなければ、筋肉は大きく育たない。成長のためには学習と訓練が必要になる。適度な緊張感が、最高のパフォーマンスを引き出す。

悪魔の囁きは一晩中続いた。

「君と友達になればいいんだろう?」

全ては心の問題だ。好奇心を足踏みさせるのは恐怖心だけで。それは結局自分の心が生み出した幻想だ。手と手を取り合って、一緒に踊ろう。悪魔に食われるのではなく、悪魔と踊れ、ぐるぐる回れ。

体調を崩して気付くことがある。それは現在の自分の限界値。その値さえわかれば、セーブすることもできるようになるし、領域を拡張する方法も考えることができる。

よし、君と手を組もう。一緒に踊ろう。ぐるぐる回ろう。

まだ、胃の調子は万全ではない。頭もうまく回らなくて。ロバート・ジョンソンは十字路で悪魔に魂を売って、ギターのテクニックを身につけたけれど。僕は誰もいない十字路で、悪魔と二人、ダンスを踊る。

ぐるぐる回っているうちに、悪魔が天使に変わる瞬間がある。君たちはどちらも、最初は同じ妖精だったことを僕は知っている。

これはリハビリ。真夜中の日記。



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