「愛している」とか、そんなことではなくて。
呑みながら書いている。
最初に呑みながら書いたのは昨年の10月で。基本的に僕はお酒を呑みながら文章を書くことはしないから。考えてみれば、これは人生で四回目。コンビニで買った冷凍のパイナップルを日本酒に漬けて、飲むヨーグルトで割った。日本酒の軽やかな甘みと、果実の熟した甘み、それからヨーグルトの爽やかな酸味。
あの頃はまだ、ここにいる誰とも話したことがなかったし、小説も書き上げていなかったし、店も10周年を迎えていなかったし、東京に家も借りていなかったし、コロナウィルスも来ていなかった。そう、あの時、僕は「自分に嘘をつかない」と決めたんだった。
言葉は生き物
生活のための仕事を断っていった。自分の心に正直に、本当にやりたいことだけを選んでいった。「断ること」は怖かった。だけど、一歩踏み出せば、新しい世界はそこにあった。
目の前の仕事がオーディションだった。そう、目の前の仕事は、次へのバトン。「悪くない」ではダメで、「この人と一緒に仕事がしたい」と思ってもらうことがゴールだった。考えた。書いた。また考えて、書き直した。それを何回も何回も繰り返す。朝が来て、夜が来た。それでも僕は書いていた。不思議と苦しくはなかった。僕は「書くこと」が好きみたいだ。
人が人を繋いで、新しい仕事と出会えた。あの頃と比べると、僕の言葉は成長した気がする。あれから僕は何百万字書いたのだろう?言葉の質量が変わっていった。たとえそれが、同じ言葉であったとしても。それは「責任」なのかもしれないし、「想い」なのかもしれないし、「経験」なのかもしれない。とにかく、僕の言葉は佇まいを変えた。そう、言葉は生き物なんだ。
「嶋津さんの文章はね、魔法がかかったみたいなんです」
照れながら会釈する。心の中で自分に対して「胸を張れ」と言った。僕の尊敬する人の言葉は、涙が出るくらいうれしかった。その場に人がたくさんいたらかもちろん泣きはしなかったけれど。僕はこの日のことを忘れないし、この時の気持ちを忘れない。僕の言葉の質量がまた上がっていく。
目の前の仕事に全ての力を注いだ。朝が来て、また夜が来る。身を削りながら言葉を磨くと、それはきれいに光った。身体で言葉を磨いているようだった。身体と言葉を互いを削り合うことで輝きを手に入れる。それは確かに良い文章になった。
「思いつき」なんかで良い文章は書けない。
三回目の呑み書きの翌週、僕は倒れた。夢の中で悪魔と踊った。無理をした身体がついに悲鳴を上げた。僕に囁く悪魔の手を取って、ぐるぐる回った。僕は悪魔から逃げることもしなかったし、倒すこともしなかった。僕は悪魔と手を繋いだんだ。
全ては心の問題だ。好奇心を足踏みさせるのは恐怖心だけで。それは結局自分の心が生み出した幻想だ。手と手を取り合って、一緒に踊ろう。悪魔に食われるのではなく、悪魔と踊れ、ぐるぐる回れ。
この時、僕は「負けること」さえも力に変えることを学んだ。言葉はぐるぐるぐるっと三回まわってまたその質量を上げた。
ラブレター
コロナウィルスで街は静かになった。おかげで、僕はここにいるみんなと会えた。言葉だけじゃなく、声でも。画面の向こう側で、みんなが笑っていた。よくわからないけれど、涙が出そうだった。今、ここで紡がれる言葉と、頬を伝う涙は、美しいものだと思う。
「愛している」とかそんなことではなくて。
僕たちは言葉を通して世界を繋げている。noteがあってよかった。たくさんの人に向けたラブレターなんて書くのははじめてかもしれない。でもそれが、ここにいる人たちへ送るものでよかった。
あの時、要らないものは捨てた。「大切なもの」に真剣に向き合った。まだまだ、まだまだ、まだまだ、まだまだ。これからもずっとオーディションは続く。バトンに終わりはない。
目の前の壁を乗り越える度に、言葉の質量を上げていく。僕は「僕にしか書けない言葉」を探して生きている。今、ようやく、生きるということの意味がわかった気がするよ。
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