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1000文字の手紙〈深澤佑介さん〉

深澤さん、こんにちは。

こうやって改まってお手紙を書くこともなんだか照れ臭いですね。深澤さんの大切な相棒とのお話は、文学の香りがしました。正しい時刻を指し示すことさえ難しくなった相棒でも、それは深澤さんにとってかけがえのない存在で。深澤さんの人生を補填するように、励ますように、そして、支えるようにいつもそこにいる。

いつだって「獲得」は「喪失」と共に訪れます。時計を獲得したことで、孤独から解放された。今まで抱えていた〝自分を取り繕っていた〟ことによる疲弊を、時計が引き受けてくれた。そのことによって時計は正確な時刻を指し示すことができなくなったかもしれない。でも、深澤さんは「自分のリズム」を獲得した。

もしかしたら、人は「時計が悲しみを引き受けるなんてばかばかしい。自分勝手な解釈だ」と言うかもしれません。「然るべき場所に行けば、時計は正常に戻る」と。でも、そう言った人は本質を心得ていない。「壊れていようが、かけがえのない存在だ」ということが深澤さんにとっては重要なのですよね。

それは深澤さんと相棒の中に流れる物語。お互いさえ理解し合っていればいいだけの話です。「物語」は、その人の生き方の支えになります。奇跡というのは、それが身の上に起きた人にしか信じることはできません。ただ、一つ言えることは、「奇跡」という物語を共有した人は強い、ということです。

相棒と出会えたことで、「あるがまま」の生き方の美しさを知った。これは、紛れもない事実です。その出会い、「獲得」と「喪失」、記憶の共有、それらをインクルードして今の深澤さんがいる。相棒がそばにいることで、自分らしくいられる。その物語を慈しむ深澤さんのことを、ぼくは愛おしく想います。それは文学です。

モノに物語を与える人は、いのちを吹き込むように見えます。いのちを吹き込む人は、モノを大事に扱います。それは、「いのち」として尊重しているから。そういう人のことをぼくは尊敬するし、大好きです。

影を知るから、労わることができる。光を知るから、その喜びだけでなくその苦しみも共感できる。本当の意味でのやさしさや強さというのは、影と光の両方を味わった人にしか持てないと思っています。左腕の壊れた時計は、深澤さんの軸の強さと相手を思いやるやさしさを象徴しているような気がします。

素敵な作品を届けてくださり、ありがとうございました。



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