十月の高い空は青々と
昨日、義母の七回忌があった。
十月の高い空は青々と。義父の着た白いシャツが眩しかった。ハレーションを起こしたフィルム写真が、一枚一枚めくられていくように、八畳ほどの小さな和室で家族は義母の思い出をそれぞれに思い浮かべ、冥福を祈った。
レースカーテンからこぼれる光、静かに立ち上る白い煙、部屋を包む白檀の香り、歌うような僧侶の読経、その中にいると自然と涙が頬を伝った。瞼の裏側には義母の美しい笑顔が映っていた。
「今日という日は、故人との思い出を語り合い、偲ぶ一日です」
僧侶はおだやかにそう言った。記憶に残り続ける限り、人は生き続ける。誰も義母のことを語らなかったけれど、その小さな部屋は義母の思い出でいっぱいだった。それぞれの記憶が映写機のように、それぞれの瞼の裏側を彩る。言葉で語らずとも、記憶の義母と向き合うことだけでその場にいる者の心は満たされた。愛する心は美しいけれど、愛されることも同様に美しいのだということを知った。とても幸せな時間だった。
六年前に最愛の妻に先立たれ、一人残された義父を周りは心配した。痩せ細った義父を見る度に胸が痛んだ。
義母の喪失によって生まれた空白は、誰をもってしても埋めることができなかった。その愛が深かったからこそ、代わりになるものは何もなかった。
僧侶が帰った後、手際よく家の中を片付ける義父を見て立派だと思った。清々しく整えられた庭、きちんと片付けられた部屋、折り目正しいワイシャツ。六年間、この家を守り続けた男の姿がそこにあった。
砂を噛むようにして一日一日を積み重ね、ようやくこの日を迎えたのだ。
今日、角尾さんのnoteを読んでストンと肚に落ちるものがあった。
あまり健康的な考え方ではないのかもしれないけれど、死ねない理由を持つことで、どうにか生きながらえる方法も、たぶんある。人によっては、連載マンガの続きかもしれない。孫の顔を見ることかもしれない。夢を叶えることかもしれない。なんでもいいのだ。
この六年間、義父は「死なない理由」を一生懸命探していたのだと思う。「生きる理由」ではなく「死なない理由」を一つひとつ見つけてはポケットの中に入れ、明日を迎えていたのかもしれない。
鉛のようなものが喉の奥を通った。
六年という歳月によってようやく義父の悲しみは穏やかな丸みを帯びた。
義父の笑顔を見ることができて、本当によかった。
義母の仏壇。花が生けられ、果実が供えられ、整理された清々しい八畳の和室。そこには義父の息づかいが感じられる。日々の営みが見える。きちんと手をかけていなければ、このようにはならない。
「この部屋だけは建てた40年前と変わらないんです。他は、手を入れたりしたけれど、この部屋だけは妻と一緒にここへ来た時のまま」
法要がはじまる前、整った部屋を見た僧侶がそのことを褒めた時に、義父がそう言ったことを思い出した。
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