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「明日もなんとか」さえ、あれば

生きる意味を考える。

実現したい未来、守るべき存在、社会との接続。「生きる」には、いろんな意味がある。それぞれの要素があるおかげで、力強く生きることができる。

では、その要素を失くした時はどうなるのだろう。生きていられるのだろうか。実現したい未来が潰えた時、守るべき存在を喪失した時、社会との接続が解除された時。

わたしは、自信がない。

淡々と日々を、積み重ねていくことができるのだろうか。

わからない。

そう思うと、わたしは日常に溶け込んでいる何気ない一つひとつに、生かされているのだと気付く。きっと、それがなければ、わたしは、と。

生きる理由があるだけ、しあわせなのかもしれない。「明日もなんとか」と思えるだけで。世の中には、「明日もなんとか」を失った人もいるだろう。それを報復にする人もいるだろう。すべての感情が抜け落ちて、抜け殻になった人もいるだろう。

良い社会とは何だろう。良い人生とは何だろう。失った先は、セロハンテープの最後の白い紙みたいに、物語の終わりを予告するのだろうか。それとも、次の章がはじまるのだろうか。

たとえフレキシブルではなくとも、誰もが穏やかに暮らせる社会だといい。その延長線上で、深呼吸するように穏やかに終わってゆく人生があってもいい。「生きる」の意味を、落っことしてしまっても。


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