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「状態」をつくる

これは昔からそうなのだけど、「創作」の頭になる時は、いつだって歩いています。

みんなそれぞれに身体のスイッチがあるのでしょう。たとえば、文章をまとめたり、洗練させる時はじっとしていてもできます。エッセイや考えていることを整理する時は、紙にざっと書くとなめらかに入っていけます。それがひとたび「創作」になると、「歩く」がなければはじまらないのです。

十代の頃から、戯曲、落語、小説といろいろなものを書いてきました。それらをカタチにしていく時は、いつも歩きながらの作業になります。頭の中でバラバラになっている光景が、糸のような微かな線で紐づいた時、一気に書き上げます。忘れないよう、その残像を記録するため、といった具合に。

最近は夜中に執筆することが多いのですが、リビングをぐるぐる歩き回っています。「創作」は、身体性の伴う行為なのだと思います。

同時に、「睡眠」もまた創作に必要な工程だと思っています。

文章に行き詰ると、寝るようにしていて。目が覚めると、続きができている。そこから書いて、歩いて、また書いて、行き詰ると寝る。

理由はわからないのですが、身体がそのように機能することを知っているわけです。この物語がどのように着地するのかはわからないけれど、なんとなく形になる気だけはしている。

だから、頭の中だけで考えるよりも、「状態」をつくることがぼくにとっては大事なのかもしれません。

そう考えてみると、「創作」だけでなく、文章にまつわるあれこれの仕事もまた、すべてに密度の高まる「状態」が存在するのかもしれません。

今のところ、「書く」と「音読」を繰り返しながら整えていくだけですが、もしかすると他にももっと効果的な身体性の伴うスイッチがあるのではないでしょうか。

たとえば、コーヒーを飲んだり、アロマを焚いたり、音楽を聴いたりすることがきっかけとなる。好きなフォトグラファーの作品を眺めること、好きな作家の器に触れること。「ことば」を磨いたり、「思考」を深めたり。それだけではなく、「状態」をつくることも大事な気がします。

Art de Vivre

それを探すことも、人生の楽しみのひとつだと思うわけです。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。