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とりとめなし

国民的スターのコメディアンが殺された。

あのウィルスのせいだ。亡くなったのは先月の末。なかなか言葉にできなかった。だって悲しくて。くやしくて。待ちわびたまま消えた、キネマの神様。

その訃報は、出来の悪いジョークのようで。笑えない上に、信じられなかった。きっと、受け入れることを拒否しているんだ。ジョークであればいいのに。無意識の中でそう願っていたのだと思う。たとえ、ユーモアが破綻していたとしても。

スターは僕が生まれる前から世界を笑顔にさせていて、いつだってテレビの中で僕たちの気分を明るくさせてくれた。ウィルスにかかった時も、当然のように治ってまた僕たちを笑わせてくれると思っていた。心の準備もままならないまま、あっという間にスターは消えてしまった。こんな表現をするのは僕の傲慢だけど。悲しいし、くやしい。「死んだ」なんて嘘だと言ってほしい。

国民的スターは、国民それぞれの心の中に生きていて。実際に会ったことがないのに、それぞれの記憶の中にたくさんの思い出がある。明るい気持ちにさせてもらったそれぞれの恩がある。瑞々しい歓びの記憶は特別なものとして輝いている。

外に出れない、人と会えない。その中で前向きに、生きるための希望を探して日々を暮らしている。オンラインでも仕事はできる。SNSでもみんな明るく振る舞っている。でも本音を言うと、みんなうんざりしている。外に出たいし、人と会いたい。働きたいし、ライブも行きたい。焼肉も食べたい。

あいつは僕たちから「生きがい」を奪っていく。

嫌なことを「嫌だ」と言えないムード。その理由も痛いほどわかる。それらの言葉は何も生まない。それ以上に、一つこぼせば、堰を切ったようにあふれ出すことをなんとなくみんな気付いているから。土石流のようなそれを留める自信は誰にもない。だから、誰も口にしない。言葉にしてしまうと、もう立ち直れない気がするから。

花を買う、音楽を聴く、料理をする、いろいろやった。でも、大切な人の涙がこぼれる。

わかった。いろいろと我慢するからさ、もう誰の命も奪わないでくれ。

人類は長いトンネルに入ったばかりなのだろうか。暗闇だというのに立て続けに目の前には壁が現れる。僕はきっとあきらめない。どうにかして乗り越えようとするし、それができる気もしている。〝うんざり〟はしても前へ進む。幸運なことにランタンには希望の光が灯っている。

大好きだった志村けんさんのこともようやく書けた。別に誰かに向けて書いたわけではなく、自分自身で一つひとつ整理して、しっかりと前に進むため。受け入れることは時間がかかる。でも、大切な記憶とはていねいに付き合っていくべきだと思うから。自分のペースでゆっくりと消化していけばいい。正直、まだ全部を受け入れることはできていない。

一つ考えなくてはいけないのは、蓋をした愚痴や怒りの行き場。そして、決壊した心の堤防の修繕。安心して吐き出せる場所と、回復へのサポートができるコミュニティ。

「0か100か」なんてどだい無理な話で。僕たちの心というのは、喜びも、怒りも、笑顔も、悲しみも、全てが混ざり合ってできている。昨日笑っていても、今日泣いている。世の中が不安定であれば尚のこと。自分を責めるべきじゃない。相手を責めるべきじゃない。

ゆっくり時間をかけて、受け入れていけばいい。時にはあのウィルスに文句を言ってもいい。うんざりを見せてもいい。楽しいことがあれば笑ってもいい。「こうしなければいけない」という自分がつくり出したイメージに縛られなくてもいい。その日の最後に希望を感じることができればいい。

とりとめのない話ではあるが、確信を抱きながら僕はそんな気がしている。





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