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「育てる」に全フリしたい

対話を通して、豊かな世界を。

そのような想いで日々過ごしています。ギフトを贈り合うように、互いの魅力を引き出し合い、クリエイティブな発想が生まれ、より良い関係性を築いてゆく。そのようなイメージです。

仕事も、恋愛も、共に育み合うという意味では“教育”の要素が含まれていると思っています。「教える」のではなく、「教わる」。「育てる」のではなく、「育む」。互いがそのような意識を持っていれば、豊かな体験が生まれます。そのはたらきは対話的で、尊重と主体性がベースにあります。その土壌づくりも含めて、こつこつと対話をデザインしています。

対話の中で、わたしたちのからだは三つ存在します。

一つ目は“わたし”、二つ目は“あなた”、三つ目は“わたし”と“あなた”。三つ目は“関係性”とも言い換えることができます。わたしたちは、対話を通して三つのからだを育ててゆくことができるのです。

この三つのからだを意識した時、客観的な視点が生まれます。三つがそれぞれにバランスをとっている状態。どれもが損なうことなく、育み合っている。それは「愛」に喩えると、わかりやすいかもしれません。

“わたし”の「愛」しか見えていなければ、自己愛に溺れて関係性は破綻するおそれがあります。“あなた”の「愛」しか見えなければ、自分を消耗して朽ちてしまうでしょう。“関係性”の「愛」を育むことが、“わたし”と“あなた”それぞれの「愛」を豊かにしてゆく。

「育てる」は、“あなた”という相手をイメージしやすいことばです。

でも、それだけではない。“わたし”もあれば、”関係性”もある。さらに言えば、「育てる」には主観的な印象も含まれています。「わたしが、あなたを育てる」という文章には、「わたしが、あなたを管理する」というイメージがある。

一度、そのイメージを解放してください。あくまでも、相手の主体性を引き出しながら、新発見と再発見を促す。こちらは、「問い」や「課題」を置くだけでいい。対話的に「育てる」を解釈するとこうなります。教えなくとも、相手が自然と獲得してゆくイメージです。

わたしは、この「育てる」を真剣に考えたい。

対話を通して、豊かな世界を実現するため。そのためにもまず、“わたし”を育てることからはじめてみたいと思います。「わたしはこれが好きだから(あるいは、嫌いだから)、こうしたい」という主観を一度脇に置く。そうではなく、“わたし”が育つためにはどういう「問い」や「課題」が必要だろうかと考えてみる。場合によっては、試練を与えた方が力強く育つかもしれません。どこまでも主体的に成長してゆけるよう。

それらの工夫や吟味の数を重ねれば、わたしはもっと対話の技術を磨くことができるのではないか。そんな気がするのです。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。