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チャンスは周辺に転がっている
求められたことの中で全力を尽くすことはとても大事だけれど、人生では「求められたこと」以上のことをしなければいけない瞬間があって。
その瞬間のことを「チャンス」と呼ぶと思うのですが。「求められたこと」の範囲内では、なかなか先に在るものを手繰り寄せることは難しく。「求められたこと」の外側にあるものを形にして提示していくことでしか、切り開けない道はあると思うのです。
だから、チャンスの本質は中心ではなく、周辺にあるものだと思うのです。誰も気が付かなかったところへの心遣いであったり、誰もがあえて手を出さなかったことを自ら引き受けたり、さりげなく添えられた新しい提案だったり。
喜んだり、泣いたり、怒ったり、笑ったり。感情の動きを「点」として見るのではなく、太い筆で描いた「線」のように、時間の流れの中で感情が動くものだと捉えてみる。まだ笑っていなくとも、既に「笑うこと」ははじまっていて。もう、泣いていなくとも、未だ「泣くこと」は続いている。つまり、点ではなく、その周辺にも感情のフラグメントは散りばめられているのだ、と。
「チャンス」も同じように考えるといい。「求められたこと」を点として考えてみる。その周辺こそが「求められたこと」の外側。そう、実は、「チャンス」という形になっていないけれど、既に「チャンス」という点へ向かう道ははじまっている。だから、「あれがターニングポイントだった」ということばは、振り返った時にしか出てこないんだ。
ものにならなかったチャンスもある。だけれど、見落としているチャンスもたくさんある。チャンスだったことにさえ気付かないことの方が多いのかもしれない。
周辺を見てみよう。
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