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1000文字の手紙〈読む猫さん〉

読む猫さん、はじめまして。

この度は、第三回教養のエチュード賞にご応募いただきましてありがとうございます。本との出会いは、未知の可能性を秘めていて。ぼくもふとした時にそのような喜びにあらためて気付かされます。

たとえば、今はもうこの世に存在しない人の文章なのに、「これはぼくのために書いてくれたんじゃないか」と思わせてくれるような驚きをもたらしてくれたり。距離だけではなく、時空を超えたボトルメールのように、それは突然訪れます。たまさかの偶然が重なり合った個人宛の手紙。その実感の伴った錯覚は、かけがえのない「体験」として、深くこころに刻まれます。

読む猫さんの文章は、それらの「体験」を丸ごと包んだ贈り物のようでした。

「一生に一度の読書体験」と題された文章は、具体的な物語の筋は書かれていないのに、その「ぐるり」がていねいに描かれていて。そう、そのていねいさと、そこに重ねられた慈しみが、読み手のこころを惹きつけるのです。

「わからない」のだけれど、「わかる」んです。「知らない」けれど、「知っている」んです。ここに書かれた決して長くはない数行の文章に、読み手としての信頼、そして、書き手としての信頼を感じるのです。

表層的なことばの交流ではなく、水面を深くもぐり、光の届かない場所で手をつないだような感覚。それは本が好きな人、そして、運命的な「本との出会い」を体験した者に共鳴する目に見えない力。

ぼくはそれだけでもとてもうれしい気分になりました。その文章に加筆する形で、今回の作品はぼくの元に届けられました。加筆された部分を読むと、あの「体験」の細部が語られていました。ミステリーを解読するような気持ちでぼくはそれを読み進めていきました。

ぼくの不勉強ながら、その作家さんのこともその作品のことも知りませんでしたが、この文章を読み終えた時の高揚感に嘘はありませんでした。一人の読み手が、こころを動かされた衝動、赤く浮き上がるような緻密な描写に、ぼくの胸は熱くなりました。何より、ことばで表現されていたわけではありませんが、作品に対する愛おしさを確かにそこに感じました。

ぼくもまた、読む猫さんのような読書体験と出会いたい。もしかしたらそれは「一生に一度」かもしれません。でも、また会えると信じて、今日もまた新たな物語を手に取ります。

素敵な作品を届けてくださり、ありがとうございました。




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