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「育てる」感覚

植物を育てるように、“自分”も育ててみる。

この「育てる」という感覚が重要なのだと思う。わたしたちは、自分のことを客観的に見ることが苦手だ。だって“自分”なのだもの。考えるのも、悩むのも、決めるのも、行動するのも、“自分”。

「育てる」ということばには、対象の存在が含まれている。だから、慈しみを帯びながらも、少し距離を含んだ表現になっている。対象に“自分”を当てはめた時、程よい距離を置いて観察できる。

“自分”を育てる。からだ、こころ、あたま。どういう栄養を与え、どういう経験を与え、どういう課題を与えていくか。何を食べさせよう、どんな音楽を聴かせよう、どの本を読ませよう、誰と会わせよう。「好きだから」という理由だけではない選択肢。距離があるから、見えてくる。

育つかどうかで、物事を選んでみる。厳しければいいという話でもない。植物と同じ。適切な世話をしなければ、枯れてしまったり、根腐れを起こしたりしてしまう。伸びやかに、だけど、心地良い試練はしなやかに育つ。

「育てる」が上手な人は、楽しそうに生きている。


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