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夢に囲まれて生きている

夢に囲まれて生きている。

そんな風に思います。ぼくがお仕事でお会いする人の多くは「魔法使い」です。「魔法」というのは、科学ではまだ解明できていない領域の力のこと。検証を繰り返して、論理を重ねていくと、いずれは理由を導き出すことができるのでしょうが、今はまだわからないこと。

たとえば、音楽やデザインで人のこころを動かしたり、ファッションで気分を高めたり、料理で幸せを引き出したり。目に見えない領域で、こころを豊かにする現象をつくっています。もう、それは魔法のようです。

幸運なことに、ぼくは「ことば」や「対話」の仕事を通して、彼ら(彼女ら)のお話を聴くことができます。魔法使いが、その不思議な「魔法」を精製する秘密に、ほんの少し近づくことができるのです。

その甘い秘密に、「ことば」という輪郭を与えて、結晶化することがぼくの仕事だったりします。できあがった魔法のドロップを眺めながら、魔法使いは次の魔法について考えます。ドロップがインスピレーションになっている。うららかな循環が息づく瞬間です。

そんなわけで、魔法使いと対話して、同じ時間を過ごすようになると「浮世離れ」を起こします。箒にまたがり、ゆっくりと地面から浮き上がる感覚です。

現実というものは、冷徹なものです。「常識」たるものを押し付けます。箒はゴミを片付けるものであり、またがることすら許してくれません。世の中に魔法は存在する一方で、魔法は夢の中にしか存在しないように設計されているのです。

当然、誰もが魔法を使えるわけではありません。神様からのギフトである「才能」を前提として、はかりしれない努力の量が必要になります。続けることができる性質を含めて、はじめて魔法は機能します。おいそれと魔法使いにはなれません。

だからでしょう。「常識」という視点でモノを見ると、魔法は現実には存在しないことになっています。「常識」は、夢と現実に明確な境界線を引きます。その瞬間、人は魔法が全く見えなくなるのです。

あまねく魔法使いは、夢を現実の延長上に置いています。その境目は常にあいまいで、明確なラインは存在しません。だから、彼ら(彼女ら)は夢見心地でいるわけです。それを笑ってはいけません。その「夢」がなければ、魔法が使えないのです。

「夢」を、「ビジョン」ということばに置き換えることができるかもしれません。現実にない世界を描く力、それを実現する力。常識を覆す力は、「夢」を原料にしか生まれません。

魔法使いは、いつだって夢を抱えて生きています。

現実は冷徹ですが、「常識」はやさしいものです。

従っていれば、生活を守ってくれます。それでも「夢」は抱いていたい。浮世離れでも、夢見心地でも、現実の延長線上に存在するものとして。

夢に囲まれながら、そんなことを思ったのでした。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。