見出し画像

1000文字の手紙〈のりまきさん〉

のりまきさん、はじめまして。

ぼくがのりまきさんを知ったのは、Twitterで誰かがあなたの記事をシェアしていて、何気なくタップしたことがきっかけでした。読めば読むほど、のりまきさんの文章に惹かれていきました。ごくごくシンプルに形容すれば、「おもしろい」ということで。それからいくつかの記事を続けて拝読しました。

だから、のりまきさんが教養のエチュード賞に作品を届けてくださったことがとてもうれしくて。一方的なファンでしたから。これを機会に、どうしてのりまきさんの文章が好きなのかを考えてみました。

まずは「おもしろい」の定義ですよね。「悲しい」「腹立つ」という感情に関しては多くの人が同じ感覚を持ち合わせているのですが、以外にも「おもしろい」という感情は人それぞれです。にぎやかな笑いもあれば、しとやかな笑いもある。成立する笑いもあれば、破綻する笑いもある。何に対して笑ってしまうのか。「おもしろい」を細かく区分けしていくと、その人の個性が現れます。それくらいパーソナルな要素だと思っています。

ぼくが惹かれる「おもしろい」は、客観性を伴った破綻です。ただ破綻しているだけでは足りず、そこには氷のような客観性が必要なんです。ただ、崩壊しているだけではダメで、そこには構築が必要です。リズムで考えるとわかりやすいかもしれません。成立と破綻を表拍子と裏拍子に置き換えて、一曲を奏でるのだとすれば、裏拍子でリズムをとるイメージです。一つひとつを蓄積しながら音律を生む。意外性として表拍子を間に挟むなんていうおしゃれも悪くありません。

加えて説明すると、のりまきさんの文章ってユーモラスでいて、品があるんです。これは個人的な趣味なのですが、ぼくは品を欠いたものがどうも苦手で。それでは、品とは何か?この作品は「片付けられない女であるがゆえに部屋が汚い」というお話です。その説明だけを聞けば、品とは程遠いように思うかもしれませんが、のりまきさんの文章はそうではない。選ぶことばやその配置に品が現れる。それがとても軽やかに行われている。そう、この「軽やか」という要素は重要です。

のりまきさんってそういう人なんだと思います。会ったことも、話したこともないけれど、文章から伝わってくる。そこに好感を抱くし、扇風機は倒れている。

素敵な作品を届けてくださり、ありがとうございました。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。