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過剰なる自意識

「おもしろい」という軸で考えるとするならば、ぼくは気の小さな人こそ才能があると思っています。ブルドーザーみたいにブロンブロロンと勢いよく、暴れまわって一面をはちゃめちゃにする人よりも、めそめそくよくよしながら少しでも普通に見せようとして今日も小さなことに絶望している人の方が「おもしろい」と感じるわけです。

「普通から逸脱しよう」としている考えよりも、「バレないように普通に合わせよう」としている考えの方にどうしても惹かれるし、才能を感じてしまう。それでもって、そちら側の人の方がおもしろい文章を書くわけです。あくまでもこれはぼくの趣味の話ね。そして、この話は最後まで、個人的な見解が続きます。

吞みながら書きました

一見、明るくて、突拍子もなく、常に冗談ばかり言っている人の方がおもしろく感じます。確かにその人の周りにはたくさん笑いが起きて、楽しそうな空気が流れています。一般的に「人気者」と呼ばれる人。そういう人の文章は明快で、軽快で、爽快な印象があって比較的に短いです。

対照的に、めそめそしながら「こんなこと言ったらつまんないと思われるから言わないでおこう。もし、言ったらどんな反応するかな。嫌われるだろうか。怒られるだろうか。無視されるだろうか。そうなった時に何て言い訳しよう……」と、やりもしないことに対する言い訳ばかりをえんえんと考えている人は、おもしろくない人のように見えます。その人の輪の外でしか笑いは起きず、いつも静かに眺めている。そういう人の文章は、じめじめしていて、回りくどくて、比較的一つの描写が長いです。あと、セリフじゃなくて、心の声が異様に多い。

おもしろくないように見えるけれど、後者の人の方がぼくの好みの文章を書きます。「おもしろい文章」です。周りから見たらどうでもいいようなことをいつまでも悩んでいて、この世の終わりみたいな気分にいつだってなれる人。もうそれは、自意識過剰、被害妄想、心配性に羞恥心をこねくりまわした塊みたいなもので。その感覚こそが、おもしろい文章を書く上で大事な要素だと思うのです。

社会になじみながら生きて行くには、全く向いていない要素ですが、ひとたび文章の世界では躍動します。誰も知らなかった(気にすることさえしなかった)あなたの観察眼がこの場所では輝きます。いくじのなさや、みっともなさや、いやらしさを全て正直に書けばいい。恥ずかしければ、架空の登場人物を通してありのままを書けばいい。それらの感情を全て隠して生きてきたことを含めて書けばいい。それは「人気者」には書けない文章だから。

そう、「隠そうとした」ところまでがセットね。「おもしろさ」というのは、「バレないように普通に合わせよう」という精神が大事だから。その小心者のセンスが、何より大事になるのだから。

創作や表現はいいよね。社会生活におけるあらゆるネガティブを、宝石に変える。あらゆる「迷い」が、螺鈿色に輝く。それはもう、迷えば、迷うほどに。

「ねぇ、そこのおもしろい人
小説、書いてよ」


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。