わからないのは、お互いさまで
相手の言ってることがわからない時、「理解力のない自分が悪い」と感じる場合と「伝達力のない相手が悪い」と感じる場合がある。
その時々で自分のせいにしたり、相手のせいにしたりするのだけれど、実のところどちらにも同じくらい責任があるような気がする。その違いを判断するのは、おそらく“自分がわかりたいかどうか”なのだと思う。
たとえば、夢中になった小説や映画は、受け手を簡単に理解させてはくれない。「“わからない”けど、惹き込まれる」という体験は誰もが知っているのではないだろうか。“