ネガティヴ・ケイパビリティ

本屋をぶらっとしていたら、平積みされている中の一冊に目が止まりました。

本全体というよりも「ネガティヴ・ケイパビリティ」という単語に注意を持って行かれた感じ。

「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」という意味を持つこの言葉を以前「企業経営者に求められる能力」という文脈の中で読んだ気がして、久しぶりに再会した感覚を覚えました。

さて、定義を読み返してみると、自分には何にしても”勝ち確”させたい人の性とは裏腹なものであり、能力というよりも思想信条に紐づくのではないか、と思えたりもします。

ネガティヴ・ケイパビリティが低いとどうなるか。
お財布事情や健康状態がたとえ充足していたとしても、今を味わうことが十分にできず、常に失うことを過剰に恐れる生き方を強いられることになるのではないでしょうか。

それが金銭面で表れれば守銭奴になり、人間関係で現れれば依存や偏執、健康面で現れると潔癖症や拒食症などになるため、いずれにしてもありたい姿ではありません。

しかし、ざっと調べた感じだとこの能力を高めるための生理学的アプローチはこれといったものが無さそうなので、何にでも筋トレに結びつける試みは今回お預けにしなくてはなりません。

もちろん、リスク選好性や身体的なタフさなどといった遺伝的要素がネガティヴ・ケイパビリティを得やすい土壌となるにせよ、何か大きなものを失った経験を経た人が好転的に獲得したヒューリスティック的な強さには敵わない気がします。

現代は「不確実な世の中」と喧伝されますが、これから先も「確実な世の中」が訪れることなどなく、寧ろ克服しがたい大飢饉や戦争動乱が有史以来最も起こりにくい時代を生きている筈です。

したがって、客観的な確実性の度合いがどうあれ、ネガティヴ・ケイパビリティは是非とも備え付けておきたい資質であり、そのためにはちゃんとダメージを負うことが通過儀礼となると思えば、割と気がラクになりました。

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