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冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 著・管賀江留郎 ハヤカワNF



戦前最大の難事件といわれる、浜松事件。
忌々しい連続無差別大量殺人はその被害者の無念にとどまらず、汚名を着せられた無実の人を葬ったことで、半世紀が経った今でさえ直視しがたいほどに後味の悪さを持つ。
本事件に加えて二俣事件や幸浦事件、小島事件など悪名高い冤罪事件の主犯格である紅林麻雄刑事の悪辣な取り調べを許した現場では、一体何が起こっていたのか。
浜松事件は一連の中における第一、ニ事件の被害者が芸妓であったことから、当初は痴情のもつれという線が有力視された。
本書で繰り返し指摘がされているように、人間は一度見通しを立ててしまうと、それに反する材料は見ぬふりをした上で、合する材料のみで説を強固に仕上げてしまうという悪癖を持つ。
紅林刑事はこのバイアスと、懲悪のヒロイズムに抗うことができず、怪物と化してしまったのだ。


その一方、シャーロックホームズを彷彿とさせる天才プロファイラー・吉川澄一技師は、痴情の線を一蹴。
本場FBI仕込みのプロファイリング技術から、それまで誰もが想定していなかった「物取りによる仕業」という線を疑う。
のちに真犯人と判明する聾唖少年・中村誠策はまさしくこのプロファイリングに当てはまっていたものの、現場捜査には充分に活かされることがなかった。
誠策自身の実家が現場となった第3の事件の捜索中、血の匂いを残しいていたに違いない誠策は何食わぬ顔をして現場であるその宅内で寝ていた。
少しでも捜査の手が伸びていれば間違いなく捕えることができた絶好の機会は見落とされたのだ。
既定路線で動き出した組織の中において、合理的な判断が胡散霧散してしまうことは大戦時の軍部にも大変よく似ており、きっとこれからも繰り返される、組織にとっての宿命ともいえる難問なのかもしれない。
とにかく、天才の明解が掻き消されてしまったことで、さらなる被害者と濡れ衣を着せられた無実の人が生まれたことは、紛れもなくヒューマンエラーである。

このように、紅林刑事に対する憎悪を駆り立てられた挙句、読み手に沸き起こった感情として、赤の他人を罰しようとする【間接互恵性】こそがまさに紅林刑事の冤罪を産んだという説得には、著者の読ませようとする意図通りに読まされてしまった。
このメタ的に仕込まれたトリックは、ただでさえ胸がつかえる思いのするテーマを扱う本書を読む中で、欺かれることでどこか心地の良さを与えてくれたのだから、凄まじい力作である。

また、本書の真骨頂とも言えるのは、その扱う範囲の広大さにある。
事件を取り巻く複線は章ごとに異なっており、現場で起こったバイアスから事件を捉える章もあれば、内務省、司法省など権力中枢の悪しき組織力学に触れる章、さらにはそれらを総括すべく、進化心理学から統計学、戦時体制まで、あらゆる学問分野を横断的に用いてこの事件を検証していく。
一つの事件を眺めることから、こうも多角的に各論を絡ませることができるのか、とその創造的な筆力と執念には脱帽させられる。
著者自らによる文庫版あとがきを読むと、この複合的な労作を自ら讃えるナルシズムが溢れており、変に謙遜されるよりもよっぽど清々しい思いがした。



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