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スポーツと性別

ここ最近、スポーツニュースはオリンピック一色ですね。その話題の中で、ちょっと気になったのがアマチュアボクシングの性別規定に関する話題でした。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、女子ボクシングの方でこの人は男性に当たるんじゃないかという話ですね。

状況を把握する

この話についていろいろと憶測とか間違いが飛んでいるので、まずは一旦整理をしたいと思います。
話題になってる選手なんですけれども、まず生まれの身体的特徴(ぶっちゃけると性器ですね)は女性にあたるそうです。
そして、出生した時も、そういう身体的特徴だったので、女性と認定されて、周りの人間も本人も女性として育ってきたと。
そんな彼女がボクシングに触れて、いざ競技に出るとなった段階で遺伝子検査を行ないました、そして遺伝子検査を行った結果、XY染色体という男性特有の遺伝子配列を持っていた。というのが今回の話題のきっかけです。
なので、男性器をもって生まれ、男性として育てられていたが、ある日、その自分の性自認が女性だと気づいて、女性としてスポーツの大会に出たという話ではないんですね。所謂トランス選手とは少し違う。
本人の性自認は生まれからずっと女性であったけれども、体の遺伝子構造、身体的構造がきわめて男性的だったという話です。

問題の所在と複雑性

この話の向かうべき解決というのは非常に複雑だなと感じています。女性として生まれたのだから、女性として出せばいいじゃないかというのも一つの解ではあります。これも一種の才能であると。
しかしながら、一般的な女性が持ち得ない筋力や身体的能力を持ち合わせた選手とそれらが一般的な女性が戦うというのは、まさに男と女の喧嘩に近い状態になってしまう。元々の筋力差がありすぎて非常に危険な状態であるというのも一つの認識です。
とは言え、彼女のような身体的特徴を持っている選手に、今度からは男性スポーツの方で戦えというのも、それは彼女たちの性自認が許すのかという非常にセンシティブな問題がはらんでいると言う感じですね。

ある意味での解決

ネットの海の中でみたある意見。
この問題に対して一つ別の切り口は存在していて、そもそもスポーツにおける男性と女性の区分というのは、生まれの外見だけで判断する時代ではなく、同様に自認によっての判断でもなく、客観的に遺伝子上の識別にのっとって行われるべきではないかというものでした。
この説を突き詰めると競技は「男女」で区分するのではなく、保有する「染色体」によって区分することになるので、競技名も変わりますね男子柔道ではなく、柔道(〇〇染色体の部)とかになるのでしょうか。

確かに外形的に見える生殖の有無だけで判断するのではなくて、遺伝子検査をした結果の肉体的構造に基づいて競技を分けるというのは、ある意味合理的ではあるんですよね。スポーツの安全性という意味合いを重視するならも、恐らくこれが正しいような気もします。

特に今のスポーツ界隈は身体的特徴と自認する性差異について問題がはらんでいます。LGBTQを支援する側からは、自認に基づいて出場するべきとされ、一部スポーツ団体もこれを是認する流れでしたが、客観的にはスポーツの公平性の観点から問題が生じており、非難する声もあるというのが今の風潮です。
これも遺伝子工学に基づいて、特定の染色体を基準に競技を分けるとすれば自分の主観的認識は関係なくなり、単なる身体的特徴(外見ではなく遺伝子)に基づいて判断されるという形になるため、もはやこの問題は生じないといえるかもしれません。

とは言え、人間の感情って結構そこまでシンプルでもないですよね。染色体基準で考えると競技を定めたとしても、結局のところ、男性・女性という概念認識自体は取り払得るものではないかもしれません。結局戦ってる人間からするとなぜ異なる性別で戦わなければならないのかという認識自体は抜けないと思うので。
要するに人間が行うスポーツとして安全目的の制度としてのベストかもしれないけれども、人間がやるという意味合いの主観的な意味でこれがベストなのかと言われると少しわからないというのが、今の僕の判断です。

おわりに あるガンダムの世界観がそこまで

こんな話を友達としていて、すこし面白いツッコミをもらいました。これってガンダムSEEDの話だよね?コーディネーターとナチュラルじゃないか?
確かにそう言われるとそうですね。遺伝子が前提にあって、この遺伝子に基づいて、あなたはここに出るべきですと決められるわけですから。ある意味、デスティニープランみたいなもんです。
実際のところ、遺伝子で決めるということの悪い面というのが一つありまして。
技術が発達して行った先で遺伝子をある程度出世でいじれる状態になってしまった時に、自分が望む方、もとい親が望む方に振り分けられてしまうという問題は残ってくるんですよね。まさにコーディネーター。(目の色が違うわ!)
ガンダムSEEDは実際にそうした社会環境における人種間軋轢の様を描いていた部分があるので、ガンダムファンの皆様だと、遺伝子が絶対という決め方も、なんだかモヤモヤしてくるかもしれません。

ともあれ、外見はこう、自認もこう、でも遺伝子的には…というややっこしい問題が今回の発端でした。彼女はただ自分が好きな種目に挑みたいだけであって、そこに向けられた心無い関心は少し行き過ぎているようにも思いました。
多くの人が公平にスポーツを楽しむために、また新しい見地が生まれることを期待するほかないというのが、今回の騒動でしょうか。

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