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白票のはなし。

選挙期間が始まったので、最近よくあるこの話。

白票でもいいから選挙に行け VS 白票は意味ないからやめろ

この辺について少しだけ触れておこうかなと思いました。

白票の効果

そもそも、白票が何をもたらすのか
だいたいの効果としては次の2点です

①国民投票数(世代別投票数)の上昇
②投票の内容としては無効

この2点からそれぞれの言い分が異なるわけです。

①国民投票数の上昇

白票でも行け派の最大の根拠がこれ。

実は投票所に行った段階で、投票済切符が切られます。
この投票済記録を元に国民の投票数と同世代別が明らかにされます。

尚、秘密投票なので誰が白票を投じたかは不明になるため白票をもって投票数から削られるということは無いです。

実際のところ、日本国においては、投票率が少なすぎる。

投票数が少ない=関心がないという構図は説明不要でしょう。

人間、関心がないなら好きにやればいいやって考えるのが普通。
国民への不利益なんのその。だって関心がないんでしょ?の一言で全部説明がつく。

なので、なんかしらの形で「関心はある」を表現する必要があります。それが投票行動。

要は、政治家に向けて「国民はちゃんと関心を持っているんだ」というアピールにはなります。どっかのSNSで匿名で書き込むよりよっぽど。

そのうえで、どれも選びたくはないという意見を尊重しつつ、それでも「国民が」関心がないと思われることを避けるために、せめて投票所に行ってくれという妥協的な言い分が、「白票でもいいから行け」になるわけです。

②投票の内容としては無効

ただし、誤解のないようにしたいのは、『白票=不信任』というはなしではないということ。

白票は白票で無効でしかないので、結果として他人の投票結果を受け入れる形になります。まぁ、これは無投票と同じですわね。

白票(無投票)だから、現行政治のやり方には同意していない。だから文句を言う立場にあるんだとお考えなら、直ちに改めた方がいいです。
「主権としての意思決定」を果たさぬまま、文句だけを言える立場なんて、ありはしないんですよ。

政治的意思決定について

少なくとも、無投票よりは白票の方がいくらかマシではあるのですが、それでも白票が叩かれる理由とは何でしょうか。

それが(政治的)意思決定の原理的な話に関わります。

意思決定の原則

意思決定の原理原則は『妥協』が付きものです。

妥協というと悪く聞こえるかもしれませんが、決して悪い意味ではありません。
現実的な選択肢というのは、八方丸く収まったり、丸っと利益だけを収めれるような完璧なモノというのは殆ど存在しません。

老人を手厚く保護すれば、若者の財政が圧迫され、労働者を立てれば経営者が割を喰うといった、「あちらを立てればこちらが立たない」という選択肢がほっとんどです。
利益に関しても、利益は高いが危険性も高いか、どちらも少ない等、少ない危険性で高い利益が理想とは知りつつも、やっぱり何かしら飲むところは飲まないと話が進まないものです。

資本主義や民主主義も、決して完璧な概念ではなく、他の政治経済体系より『まし』で他により良いものがないからそうなってるにすぎませんしね。

要は、ベストを選ぶ投票ではなくて、ベターを選ぶ投票なのだと理解を変える必要があります。

投票行動における妥協

なので、白票は駄目だという層の根底は、ちゃんと意思決定としての妥協を行えというはなしなのです。

無投票層の一番の声は「入れたいところがない」ですが、恐らくそんなもの基本誰にもありません。

あれだけ多岐にわたる政治的課題の一つ一つに〇と×を組み合わせていけば、その通り数は本当に果てしないものになるでしょう。そのうえで、たかだが4~5人の候補、もうちょっと多い政党だけでそれらすべてがカバーできるわけがない。

なので、我々も妥協を覚える必要があるのです。
政治的課題のうち、妥協できる部分とそうでない部分の優先順位をつけて最も近いと感じる候補者に投票するのがベターです。

それも難しいというのであれば、逆に「こいつだけは通したくない」という候補以外をサイコロなりで決めて投票しましょう。ダーツでもいいですよ。
こいつだけはという部分で、十分に意思決定です。

ダーツでもいいって書くと、なんか炎上する気配もありますが、究極的にはですよ?使わないで選ぶ方がいいですし、行かないよりはマシという話です。

なんでこうなるのか

なんでこうなるのか…という持論の話。

一つは教育課程の問題かなと思います。
日本の教育上、一つの正解つまりベストなアンサーを出すことが至上として持ち上げらえれる風潮があります。

その教育のせいか、スポーツ観戦とかまでその思考が蔓延ってる感じはあるんですよね。
選手起用のあれこれ論議を見てると、常にベストを探してる。
ベストではないかもしれないが、将来的なリターンも見込んで、ベターではあったみたいな話はあんまり聞かないんですよね。

どうやってもベストがでないときや、そもそもベストの概念が不足するときには、ベターでもいいんだという発想を教育する必要があるのかなと。

もう一つは現在の日本の政治体制。
具体的には多数政党状況

これって、結局政治家自身が妥協を据えかねている状況にも映るんですよね。
旧民主党の連立政権なんてひどいもんでしょ。連立してるんだから妥協するところは妥協する必要があったのに、それがかなわず空中分解した。

保守リベラルの2大があって、そこに+αの云々があってもせいぜい4政党ぐらいで留まるもんでしょう。

もちろん政治的信条と結社は自由ですが、所謂国政政党として現状の数が妥当かどうかと考えるとちょっと多すぎやしないかい?と思うのです。

投票を行う国民心理的にも、「多すぎて選べない」という経済心理学の状況に近い形になってしまってるし。

そんなこんなで、もう少し合流をして納得できるラインというのを妥協していただきたいとも思うわけでう。

最後に

なにはともあれ、投票に行きましょう。

投票せずに後悔というか、政治に文句言うのってめっちゃかっこ悪いと思うので。

近くの投票所って基本小学校なんで、ちょっとした、散歩ついでですよ。
帰りにコンビニでスイーツ買うぐらいの温度感でいいんですよ。


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