見出し画像

同じようで違うこと、違うようで同じこと

繰り返し、書いて読んでみたが、自分でもよく分からんことを書きました。
しかし、どこか納得感があるので、投稿するに至りました。
自己満足が充満した記事であることをお断りしておきます。
ご容赦下さい。

元来、飽き性である。
同じことを安定して続けることが出来ない。
その場にずっと居続けることが出来ない。
どこか、常にふらふらしていたい。

どうも、そういう性分のようだ。

歩みを進めて成長しているように感じるかもしれないが、進歩はごくごく少ない。いつもぐるりと回って、もとの位置に戻っていることが多い。

サイクルしているのだから、繰り返していると言えば、そうだと思うのだが、同じことはしていない。
必ずなにかを少しづつ変えていて、ほんの少しだけ良くなったりする。
良くなることだけではない。悪くなることもある。

そういう意味で、サイクルはしているものの、同じことはしていないと思っている。

絵を描くことは、不思議と続いているが、同じ絵を描くことはしない。
木を描くことは多いが、同じ木は描かない。
花を描くこともある。
一枚の地元のありきたりな風景を撮って、これが古代ヨーロッパだったらどんな風景になっているだろうとか、妄想した絵も描く。
けど、風景だったり、自然を描くことは続いている。

描く道具もいつもちがう。
鉛筆だったり、シャープペンシルだったり、筆ペンだったり、ボールペンだったり、Gペンだったり。

つまり、絵に節操がない。けど、同じように描き続けている。

同じようなことをしているのだが、それは常に変化している。
矛盾しているように感じるかもしれないが、人ひとりの中にある考え、もしくは行動であることは事実だ。
そして、そういうところが自分らしいなと思う。

あれこれ、手をかえ、品をかえているが、やっぱり進歩はイマイチだ。
これら体現を一言でいうと「飽き性」になると最初に思った。
それから数日、あれこれ考えて言葉にしてみると、矛盾しているようで、一貫しているところがどこかあり、あたかも一本筋が通っているようで、実はそうでもない感覚があることが分かった。

どこか行ったり来たりを繰り返しているイメージなのだが、上手く言葉に出来ない。まだ、思考が足りていないのだろう。
もっと、伝わる言葉に変えるには、思考して書く時間が必要だ。

自分でも何が言いたいのか、分かったようで、さっぱり分からない。
これも人間なんだよね。

ある人は一貫性が無いと不満をいい、ある人は面白いことを考えると笑ってくれたりする。

人間とは、不思議な生き物だ。

こんなにも、伝えたいことがなく、矛盾している文章も珍しいのではないかと少し心配になる。明日は、もう少しちゃんとした文章を書きます。

では、また明日。おやすみなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?