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戦場のメリークリスマス

「戦場のメリークリスマス」を観た。

冬になると、坂本教授の曲が頭をまわり出す。
映画を観たことが無かったので、一応、ちゃんと観ておこうかと軽い気持ちで観た。

なんと言えばよいのかわからない。
少なくとも、76年以上前に起きていた事実(に近い物語)であることだけを認識した。

今も、だいぶ狂っているけど、昔も、だいぶ狂っている。
(作品の中で描かれる)サムライ魂って、まだどこかで燃えているのかな。

火垂るの墓をふと、思い出していた。

野坂昭如氏が描く戦争、大島渚氏が描く戦争も同じ空気があったように思う。

不意に、なんで殴り合いしちゃうんだろう?って不思議に思った。昔、「衝撃の一瞬」というTV番組が特番であって、野坂氏と大島監督の殴り合いシーンを鮮明に覚えている。さっき、Wikipediaで調べたら、あの後お互いに謝罪して和解したとあった。そうか、それは良かった。
自分の中で、いまだ殴り合っているシーンで止まっていた。

親が団塊世代のど真ん中で、いわゆる団塊ジュニアと呼ばれる世代のわたしには、戦争に対する感情はなんともよく分からない世界観で終わっている。
テレビや映画でしか観たことが無いし、敗戦によって、教育も変わったから、価値観が違うみたいだ。

祖父が満州帰りの人だった。
兄弟を戦争でふたり無くしている。祖父の墓石に刻まれていた。しかし、戦死した兄弟のことも、悲惨な戦争の話しを祖父から聞いたことがなかった。息子(わたしの父)にはえらく戦争はダメだ的なことを言ったらしいが、わたしは聞いた記憶が無い。
これが子と孫の接し方の違いなのか。

重たい話しになってしまった。

戦争を語る身ではない。
その想像しか出来ない世界と、今を生きることはつながるのだろうか。

デビットボウイも、野坂先生も大島監督ももういない。
もちろん、祖父もいない。

世代もふたつ進んで令和の時代だ。
時代を紡ぎつなげることも生きるに値することだと思った。

祖父のことを、おぼろげに思い出して、気がついたら朝を迎えていた。
外に出てみると、薄らと雪が積もっていた。

とにかく、今を生きようと思った。

76年前の冬はもっと寒かっただろう。
もっとひもじかっただろう。

冬が嫌いとか言っている分だけ、余裕がある。

いや。
昔の人の中にも、冬が嫌いな人も好きな人もいただろう。
日本人は昔から多様だったようにも思えるし、均一的にも思える。

日本はいつも「残され島」のようだ。
今も世界からみたら「far east」なんだろうか。

そして、戦場にもクリスマスがちゃんとやってくるんだと、妙なことに感心していた自分がいた。

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