暮らしの中のコンピュータ

Windowsタブレットを思わぬカタチで入手したので。

ちょっと意図せずに、いわゆる「中華タブレット-Windows11版」を手にしています。
今、Amazonでみると、26,000円強で売られているタイプです。

10.1インチ1920×1200px、CPU:cereronN5100、メモリ:6GB、ストレージ:128GB(eMMC)。
こういうのもなんですが、ちゃんとWindows11が動いています。
2万円ちょっとでWindowsタブレットが買えちゃう時代。

最初は怪しさ満点だったのですが、Windowsの認証もちゃんと通っていて、問題無さそうです。

ひと通り、Windows updateを行ったところです。
これから、必要なアプリを入れていこうかなという段階。

先日、コンピュータデトックスと称して、iPad Proをみーさんにお譲りしたばかりなのに、結局タブレットを増やしてしまうという、選択をしてしまったので、あまり積極的ではないというか、セットアップするにも「よいこらしょ」と重い腰をようやく上げながらやっている状態です。

幸いなことは、iPadでは出来ないことができるタブレットであるというところでしょうか。Emacsを入れることができます。
タブレットでEmacsなんて、効率悪そうですが、ここは確実にiPadでは実現できなかった領域。

あとは、プログラムを実行することができるぐらいでしょうかね。どれほどコンパイル出来るか分かりませんが、コード書いて、簡単なスクリプト走らせるぐらいなら普通にできそうな雰囲気です。

タブレットのレビューをしたいわけではなくて。

ずっと考えていたのですが、本来、コンピュータは生活を豊かにするために存在しています。
しかし、先日も書いた通り、コンピュータを持ちすぎると管理が大変で、生活の時間が奪われてしまうという、逆転現象が起きます。なので、iPadを手放したのですが。

一方、暮らしに関するノートをひとつのテキストファイルで管理している身からすると、このタブレットはもしかしたら、足りていないピースを埋める可能性があるかもしれません。

そういうところは、少しワクワクしています。

結局、そういうのがスキなんですよね。
話しを持ちかけられたときも、一瞬「この前、iPad譲ったばかり」と悩んだモノの「試してみたい」という気持ちの方が勝っていて、結局、タブレットを持つことになっています。

そういう意味で、暮らしを豊かにするコンピュータは、ひとつかふたつぐらいがちょうど良くて、iPhoneとMacBookをちゃんと使っていれば、管理できるのですから。

まぁ。仕事でWindows使うのは仕方ないにしても。
スマホ以外のコンピュータは、WindowsでもMacでもlinuxでも何でも良いやぐらいのスキルは身についたように感じます。

便利になりすぎて、逆に不便という思いを少し体験したので、やはりどこかで、持ち物は減らしていきたいと思っています。

Windowsタブレットは、ひと通り体験してから、その去就を考えます。便利だと思えば使い続けるでしょうし、無駄な持ち物だと思えば、必要な誰かに譲りたいと思っています。

もし、道具として育て甲斐がありそうなら、とことん勉強して生活の中に取り入れたいと思っています。

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