見出し画像

詩を書くこと

こんにちは😃
山のてっぺんが、白くなってきました。


先日、詩を書いてみました。
「冬のうた」と題してみました。

詩って書くことって少ないと思うんですよね。
けど、書かなきゃ分からないこともあります。

恥ずかしくないの?と言われそうだけど、まぁそうねぇ。
そうかもねぇ、ってぐらいです。
こうして、たらたらとnote書いていても、そんな恥ずかしさみたいなものは麻痺しています。
恥ずかしさみたいなモノはだんだん必要無いものとして感じているのかもしれません。

下手でも、失敗しても、これが今の出来ること。
だから次はちょっと良くしていく、みたいな感覚の方が強いのかもしれません。

たしかに、下手クソなんです。
そりゃ、まぁ、そうだろう。
詩を書いたことなんてゼロに近いほど無いんですからねぇ。
取り敢えず、書いてみることが大事みたいな。
参加することに意義がある理論と一緒です。
そんな理論があったらですが。

詩が必要な時代だと思うのです。

ファストな、速い言葉が溢れる時代に、中和するような言葉が必要で、そういう意味で詩が今の世に潤いとして必要なのではないかと考えているわけです。
下手なのは、重々承知で、おセンチになったときに綴っていきたいなと思っています。

言葉をリズムよく、きれいにまとめるって難しいですね。
その難しさを知ることを味わっています。
難しいけど、そういう中和された、ゆっくりとした言葉を綴ることで、自分の中で欲している要素に感じます。

単純に書いていて面白かった面もあるかも。
ひとつの表現として。


そろそろ、二週間連続で毎日noteが続いているので、毎日noteのハッシュタグをつけようかと考えています。

皆さん、どういう基準でつけているんだろう?って考えましたが“自由で良いのだろう“と、あっさり結論が出たので、今日から「毎日note」を名乗ることにしました。

なんだか、偉そうで、申し訳ない気持ちは、何処から来るのでしょうね。


「21世紀の道徳」を1/3ほど読みました。

この本読んだら、どんな人にも屁理屈言えるなぁって思って読んでいました。
しかし、言葉とは恐ろしいモノです。
だんだん、そうねぇ。そうかもねぇ。って納得し始めている自分がいます。
何も調べもせずに、自分の頭で考えずに。

そうじゃない。
この本の本質は、自分のアタマで考えようってことだと思います。

道義的判断と論理的判断をヒトがどのように行なっているのかの研究は、最近だと「行動経済学」や「factfullnes」とか。
また、ちょい前に流行った「サンデル先生の白熱授業」もまた、ヒトの心理と道徳的判断によって人を知る一端になっています。

いずれにせよ、この本はややこしいし、注意して読まないと、心ごと持って行かれてしまう。
そういうふうにならないことも、この本が教えてくれることだと思います。

世の中は複雑です。
ヒトは複雑な世界で生きています。
ヒトは単純な言葉では語れない奥深さを知ること、自分で考えること、衝動的行動と思考的行動のあいだで行き来して、バランスを健康的に保つこと。

そして、現実をもっとちゃんと見て考えること。
そういうことなんでしょうねぇ。

今のところ、良かったのは、読み始めて数ページで、この本に飲み込まれずに、一歩引いて、そういうことに気がつけたことです。

正義とは何か。
真実とは何か。
正確が無い時代に必要なのは、バランスのよいモノゴトの見方。
そうした一端を教えてくれる一冊です。


ミニ鈍器本も1/3ほど読んで、今は、春ぐらいにさしかかっています。エッセイ兼日記のような本なので、文章の中に物語と季節が描かれています。

そうか。
この厚さが、著者の暮らしの厚みなのか。

物理的な厚みが、著者の生きて考えたことを示しているようで、不思議な気持ちになります。

人生って厚みなんだ。って思うと、著者の存在が、すごくリアルに感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?